【空の境界11話】殺人と真剣に向き合った正道作品【感想レビュー】


劇場版「空の境界」 第十一話「殺人考察(後) III」

 今回は11話レビューと言うより、今までの総括と言った感じ。本作は殺人嗜好のヒロインを軸に進む伝奇物。それなのに殺人を徹頭徹尾、正面から否定している。しっかりとした倫理観が1本通っており、それが物語全体を支えている。

 現実では悪がはびこり、泣き寝入るしかない事も多い。それらにっくき悪を、正義の名の下にヒーローが殺害していく娯楽作品は、非常に胸がすくものがある。

「あいつは久しぶりの外れた相手なんだから」
「でも、それでも、例え相手がどんなに罪を重ねた人間でも、人殺しはいけない事なんだ」
「お前の一般論は聞き飽きたよ黒桐。白純里緒は殺し過ぎた。だから」
「殺されて良い人間なんていない」

 しかし、本作はそれを真っ向から否定している。今回だけでなく4話でも

「式、今でも浅上藤乃が許せないか?」
「お前はどうなんだ?どんな理由があっても、人殺しはいけない事なんだろ?」
「うん。けど、僕は彼女に同情する。正直に言って、彼女を襲った子達の結末に、なんの感情も浮かばない。自分を見失っていたにせよ、浅上藤乃は良識を持った普通の子なんだ。自分がした事を誤魔化しもできずに、受け止めてしまうだろう。心の傷は青いままで、ずっと痛み続けるんだ。あの子の痛覚が残留していたように、永遠に癒える事はない。それが僕には辛い」

半年間藤乃をレイプし続けたクズ達でも殺してはいけないと、殺してしまった藤乃は永遠にその罪に苦しみ続けると言っている。

 霧絵も殺すつもりではなく、友達が欲しくて素質のある者に呼びかけたら、期せずして殺す結果になってしまった。殺人ではなく過失致死。更に天涯孤独で長年の闘病生活に疲弊しきっていた。

 そんな情状酌量の余地を数多く描きながら、霧絵は罪に負け自殺する。
どんな経緯であれ殺人は駄目だと示されている。

「逃走には2種類ある。目的のない逃走と、目的のある逃走だ。一般に前者を浮遊と呼び、後者を飛行と言う。君の俯瞰風景がどちらであるかは、君自身が決める事だ。だが、もし君が罪の意識でどちらかを選ぶのなら、それは間違いだぞ。我々は背負った罪によって道を選ぶのではなく、選んだ道で罪を背負うべきだからだ」
「私は弱いからあの人の言ったようにはできない。だからこの誘惑にも勝てない」

 更にその責任の取り方、自殺=自分に対する殺人も駄目だと、この様に明言している。

「その夜、はじめて人を殴った。その夜、はじめて人を殺した。あの日から一睡もできない。怖くて怖くて、外を歩く事もできない。のうのうと生き延びている自分が嫌で、鏡を見る事もできない。僕は最低の人間だ。何もする気になれないし、何も食べる気になれない。僕は最低の人間だ。7日目に気が付いた。あの時に死んだのは彼だけではなかったという事に。どうして誰も教えてくれなかったんだ。誰かを殺すという事は、自分も一緒に殺すんだっていう単純な現実を」

 そして今回の白純も狂う前の日記で、人としての後悔をありありと示した。本作は1話から徹頭徹尾、真正面から殺人を否定し続けている。

「人が互いの尊厳と過去を秤にかけて、どちらかを消去した場合のみ、それは殺人となる。人を殺したという意味も罪も背負うんだ。だが殺戮は違う。殺された側は人だが、殺した側には人としての尊厳も意味もない」
「人を殺すという事は、自分自身を殺すという事・・・・」

 しかも、取り上げる殺人が狂気に駆られた物語・フィクションの世界の遠い出来事ではない。それらは殺戮と区別し別ものにしている。殺人は駄目だと迷いながらも、様々な要因が重なって殺人を犯してしまうかもしれない。そんな身近な・現実にあり得る出来事として殺人を描いている。言葉遊びではなく、一般人でも犯してしまうかもしれない身近な殺人を厳格に定義していた。

 勧善懲悪、特殊環境(核戦争後だとか戦国時代だとか)、敵が人間じゃないとか、娯楽作品だとちゃんと説明し、それらの大義名分があれば、楽に殺人の罪を不問にする事ができる。

 しかし本作はそうしない。
殺人嗜好者がヒロインで、一見倫理観を軽視していそうな世界で、並の勧善懲悪物より遥かに真剣に殺人に向き合っている。倫理とはかけ離れていそうな異常者達を登場させながら、厳格な倫理観に従い、人の命の、殺人の重さを逆に重厚に描き出している。

「思い、出した・・・・それは、式が以前僕に話してくれた祖父の遺言だった。式は、それずっとそれを守ろうとしていたのに、なくしてしまおうとしている」

 そして後は、式が殺人を犯さないまま終われるのか、それを見守っていく事になるようです。

●スーパー言い訳タイム

 と言う訳で、重いテーマを相反する倫理観の薄そうな世界で描き出している力量の凄さを挙げてきたけど、レビューを書く身としてそれは大変辛い環境でした。

 僕は素直な良い子(笑)な上にそんな重いテーマを扱える文章力もないので、そんな世界観で描かれたら、それを素直にレビューする事しかできません。試しにちょっとだけ素直に書いたらどうなるか7〜8話の竹林で式を監視する黒桐のシーンを書いてみます。

 竹は真っ直ぐな、たわまぬ思いの暗示。しかし、黒桐は式に殺人者だと打ち明けられたのに、自分の思い込みでそれを無視してしまった。黒桐が大輔に式の事を話していれば、ちゃんと対処していれば4〜7人目は死なずに済んだかもしれない。それは式がそれらの罪を重ねるのを防げたという意味でもある。なのに黒桐はみすみす式を見逃した。共に犯人隠匿の罪を重ねてしまった。竹林はそんな黒桐の愚直な思い込みで死なせてしまった、被害者達の墓標の連なり。その連なりが視界を塞ぎ、黒桐の目にはもう式しか映らない。

 真正面から殺人を否定し、倫理観を貫きながら、ヒロインが殺人者である描写の方が圧倒的に勝っているとこんな風にしかなりません・・・・ミスリードに踊らされた上に誰もニヤニヤしそうにない・・・・正に誰得。なので途中からレビューが迷走しまくりだったんですが、この言い訳で少しでも仕方ないと思って貰えれば幸いです。

 そんな感じで延々負け犬の言い訳をしてきたのですが、最後は同じく負け犬臭が半端ないあの娘の台詞で終わりたいと思います(笑)。

「そんな負け犬みたいな立ち回りはご免です」


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2013年09月14日 15:45 by 元会長
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