【有頂天家族2】一期のまとめと二期の予想
【有頂天家族2】第1話 感想・考察
【有頂天家族2】第2話 感想・考察
有頂天家族 第12話「偽叡山電車」
●矢四郎と矢二郎の溝。夜と雨と川と橋
冒頭は雨で増水した夜の川からはじまる。そして雨の中独りで、そこに架かる橋を渡ろうとする矢四郎。矢三郎を助ける為に竹林亭に急いでいる。しかし、橋の中ほどで雷が鳴りその場に座り込んでしまう。
夜の闇は、夷川のせいでお先真っ暗な状況の表れ。そして雨の雫が涙のように矢四郎から流れ落ち、我慢してはいるけど心の中では泣いている矢四郎の気持ちが良く表れている。そんな中、矢四郎が思い浮かべたのは、金閣・銀閣がバカにした矢二郎の事。
川は渡りにくい隔たり、それが意味するのは心の溝。よってこの川は、矢四郎と矢二郎の心の溝(金閣・銀閣と戦う覚悟を決め竹林亭に向かわなかったので、川が金閣・銀閣への恐怖を意味してる訳じゃない)。
過去の回想でも、矢四郎は総一郎か矢三郎の傍にいて、矢二郎には懐いていない。また矢四郎が矢二郎の井戸にいったと語られた事もない。よって、矢四郎と矢二郎の間には心の溝がある。不仲な訳ではないけど、余り話した事がなく、なんとなく近寄りがたいのだろう。そして矢二郎が蛙になってからは特にその傾向が強まった。
でも、矢二郎はみんなが言うような駄目狸じゃない。矢四郎達がこんな窮地に陥っていると言えばきっと助けてくれる。矢二郎だって矢四郎の兄、下鴨家の家族なのだから。
橋はこちらの岸とあちらの岸を繋ぐもの、それが意味するのは心の繋がり・絆。そして矢四郎は再び立ち上がりその橋を渡った。矢二郎との心の溝を乗り越え、矢二郎のいる井戸へと走っていった。
●正しい四字熟語の使い方
「良いから(口を)開けて!」
井戸にいき、矢四郎がこう叫ぶ時も、雨の雫が滴り落ち泣いている矢四郎の姿が重なる。そして矢四郎が井戸に注いだ酒を飲んだ矢二郎は
「捲土重来!」
と叫び辺りは眩しい光に包まれた。
別に前回も間違った使い方じゃないけど、悪役が調子コイてるところなんて誰も望んでないから!
土を捲き重ねて来たれ!
ですよ、やはり主役サイドが使ってこその言葉でしょう(笑)。
●狸は理想の阿呆像
色々あって、ご機嫌で洛中を暴走する矢二郎達。その時の台詞
「はー、どうしよう矢三郎?我が一族の頭領、兄さんの絶体絶命の危機だというのに、俺はなんだか妙に面白くてしようがないよ。ふざけた事だなぁ」
「構わん、走れ兄さん!これも阿呆の血の然らしむるところだ。面白き事は良き事なり!」
に"理想の阿呆"像が端的に表れている。
僕は今まで"理想のヒーロー"像として矢三郎達を見てきたけど、それは間違いだった。
"理想のヒーロー"像、それは常に正しさを求める、正しさが絶対的な基準となっている。勿論正しくない、相応しくない行動でも、人間関係との秤にかけて見逃す事もある。でもその外れ方がその場合において許容されるかどうか、結局は正しさを基準に許容できるかどうかを計っているだけ。
また、天狗は"理想の高慢ちき"。11話レビューでは赤玉が一方的に弁天を攫ったかわからないと書いたけど、おそらく赤玉が一方的に悪い。でも高慢だから、自尊心がある故に、弁天や矢三郎を魔王杉の事件で咎めたりもしなかった。
そして弁天は"人間"だからそんな赤玉を許さなかった。だから魔王杉の事件を起こした。
これらを踏まえて"理想のヒーロー"は不正を絶対に許さない、
弁天を攫った赤玉を、
魔王杉の事件の矢三郎と弁天を、
井戸に篭った矢二郎を、
総一郎を食べた金曜倶楽部を(狸→人類、金曜倶楽部→異星人などに置き換え)、
総一郎を陥れた早雲を。
でも許さず正しく罰していたとして何が良くなっただろう?人攫いの妖怪としてヒーローが赤玉を倒し、中途半端に天狗の術を教えられ、天狗の道具も持たない、人外を知ってしまったのにほとんど何の力もない人間モドキの鈴木聡美になってどうすれば良いだろう?
今のように天狗の力と道具を手に入れても、弁天のせいで赤玉が倒されたら、11話レビューで書いたように天狗モドキ、人間に近い鞍馬達はそんな弁天に近付かないだろう。高位のまともな天狗達と上手くいくとも思えない。そして結局弁天は同じように(おそらく人間の世界に居場所がないと)涙を流し続ける。
また、赤玉が真相に感付いてると思っても、何も言わないから矢三郎は世話をしにいけた。赤玉が真相を知って矢三郎を罰したら、拒絶したらそれでも会いにいけただろうか?赤玉が矢三郎を正していたら、より孤独になっていただけではないだろうか?
そして矢二郎は井戸に篭り、正しくない落ちこぼれだと知れ渡っていたから夷川が油断しノーマークになれた。ヒーローが無理矢理更生させようと、せめて周囲との繋がりを残す為に井戸から出していたら一緒に囚われていた可能性が高い。何より、総一郎にも遠く離れて暮らしたいと言っていたし、ヒーローのいないどこか遠くに逃げて、家族から離れていただろう。
更に狸界の頭領を食べた人間を許さなければ、金曜倶楽部に報復していたら人類と狸の戦いは避けられないだろう。人類は自分に仇なすものを決して許しはしない。
"(人間の)理想のヒーロー"像なんてそんなもの。"人間にとっての正しさ"が絶対の基準で、その本質は傲慢この上ない。淀川の「狸に食べられたい」という話が、"人間にとっての正しさ"が"絶対的な正しさ"からどれだけかけ離れているかを端的に表している。
なら結局、"理想のヒーロー"と"理想の阿呆"どっちが良いのだろう?狸はそんな人間のあるべき姿を考えさせる為に選ばれたのだと考えられる。
●可哀想の意味
色々あって、鴨川の上に飛び出してしまう矢二郎達。そしてAパートとBパートを挟んで、矢二郎の化けた電車は丁度満月に重なり夜空に浮かぶ。満月で思い出すのは5話の弁天の台詞
「大きな月が出ているわね。"丸い"ものが好きよ、私」
そして"丸い"とは形の事じゃなかった。角々しくない穏やかな人(?)柄、狸達の"理想の阿呆"像の事。阿呆の血が騒いで減速すらできなかった矢二郎は正に満月を背負うに相応しい。
ここまでわかれば更に浮かんでくる台詞がある。10話の
「先生は、ご存知なのですか?」
「"可哀想"に・・・・お師匠様は何もご存じないのよ」
総一郎に言った弁天の台詞。狸は自分が食べられるとわかったら美味いに鍋になれるかどうかを心配するような"理想の阿呆"。それなのに赤玉の事を心配するような総一郎は、しがらみや狸界を背負う"偽右衛門"に縛られた
"可哀想な狸"。
5話でも弁天は矢三郎に
「お月様が欲しいな。ほら、取ってきてご覧、"矢三郎"!」
「そんな無茶な。幾ら弁天様の頼みでも」
「能無しなのね。なんにもできないのだから。貴方はとても"可哀想"な狸ね」
こう言っている。月を取ってくるなんて阿呆な狸にはうってつけ。どんな阿呆な答えでも良い、それに答えさえすれば。なのに矢三郎は父の事で弁天に複雑な感情を抱いており、正論でそれを否定した。だから弁天は"理想の阿呆"から離れてしまっている矢三郎を"可哀想"だと言った。
そしてこれは"理想の阿呆"である狸達に対する弁天の強い憧れの裏返しでもある。でも月を見ては涙するだけの弁天(=人間)は、決してそんな"理想の阿呆"になれはしない・・・・。
●今週の人間
そんなこんなで次回はいよいよ早雲との直接対決!縄を操っていた寿老人はやっぱり術者?とか、矢三郎は母親を助ける事ができるのか?とか色々気になる事はあるけど、最後は今回一番"人間"を浮かび上がらせた矢一郎の台詞(というよりは早雲の行動だけど)で〆たいと思います・・・・。
「お前は俺をバカにしているだろう。人間の真似事をして、選挙だ根回しだと喚いて、その挙句にこの様だ!こんな情けない狸が狸界の将来を背負えるものか・・・・」
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