【デス・パレード5話】黒髪の女の裁定はもうついている?【感想】


デス・パレード #5「デス・マーチ」

さて、今回は状況解説が一気に進みました。これまでデス・パレードは、1〜2話レビューで書いたように、

良い人生と悪い人生を歩んだ二人のゲーム対決を、裁定者・デキムが裁定することで、『良い人生とは何か?』を考えさせる物語、

としてきました。

よって、黒髪の女(EDクレジットより)やノーナはデキムのおまけで、いてもいなくても良い存在として扱っていました。

しかし、黒髪の女は自分が死んだことを覚えており、ゲームに誘導できなかったことが明かされました。そしてノーナがその全ての(エピソード)記憶を消去し、裁定の期間を三ヶ月に延ばしていたことも。

なので、今回は黒髪の女の解釈を考えなくてはいけなくなりました。しかし、全てがひっくり返った訳ではなく、これまでの解釈を元に解釈を増築していく、そんな感じだと思っています。

●デス・ビリヤードは完成図

さて、ではどうするか?という話になるのですが、まずデス・ビリヤードの重要性について一回ちゃんと書いておこうと思います。

二話時点で、どうして上で書いたような物語全体の構造を予想できたのか?それは、デス・パレードが放映される一年前(2013年3月)に、デス・ビリヤードが単体で公開(?)されていたからです。

それは、デス・ビリヤードが『可能な限り重要度の低いエピソードを削りつつ、最低限必要な情報は全て詰め込まれている単体作品』だったということです。だから、答えは全てデス・ビリヤードの中にあるのです。

でも30分で話をまとめるために、ヒントは極限まで削られています。そのため、デス・ビリヤードだけでは何となく主題の雰囲気が浮かんではくるけど、それを具体的に言葉にできない状態でした。

しかし、その主題の一部を切り取り掘り下げたものがデス・パレードの1〜2話だと考え、デス・ビリヤードと比較解析することで、全体の予想をすることができました。

●確率二分の一?

ただ、僕がデス・ビリヤードを見たのは昨年末のニコ生なので、もう見返せないんですよね・・・・。

更に、このままデス・ビリヤードが完成図だとして解釈を続けて良いか、はっきり言ってわかりません。

つまり、デス・パレードはデス・ビリヤードをプロトタイプとする後継機で、デス・ビリヤードの方が参考図、デス・パレードこそが完成図とも考えられる訳です。

でも、デス・パレードが完成図だとすると、全部見終わらないと内容がわかりません。五話時点で残り七話くらいを予想するなんてしんどすぎます(笑)。

と言うわけで、確率二分の一の博打で、やっぱりデス・ビリヤードが完成図だと信じてみることにします!w

●黒髪の女の意義

でも本当は、五話を見終わって最初に考えたのは、黒髪の女の意義です。このキャラが追加されたことで一体何が表現できるようになるのか?ということです。

まず、明言はされてませんが、黒髪の女に手伝いをさせているのは、(極限の状態でない)普段の行動を長期間見ることで裁定するのが目的だと思われます。

でもそれって、僕の解釈では無意味なんです。記憶をなくしていても、良い人生を送れた者は良い選択をする、それってそんなに重要でしょうか?

そもそも、死者のノーマルケースからして記憶が大分欠損してゲームをしているので。それが3割欠損していようが、(ノーナによる記憶消去で)10割欠損だろうが大差はありません。

もしそれらの欠損がエピソード記憶以外の、人格に関わる部分にまで影響するなら、そもそも1%でも記憶が欠損していたら不正な判定ってことになります。

また、黒髪の女にとって日常生活における極限状態を引き寄せるトリガーは何か?を探るためなら、いよいよ意味がありません。ちょっと判定に入るまでのシチュエーションが違うだけで、主題の『良い人生とは何か?』を考える上では、ノーマルな死者達と何ら変わらないからです。

だから、わざわざこんなケースで判定する意味がないんです・・・・『良い人生とは何か?』が主題だとすれば、ですが。

●スーパー○イヤ爺

そのあと色々考えたのですが、試行錯誤を繰り返し、一つの考えに辿り着きました。

もし、デス・ビリヤードが完成図なら、黒髪の女役は誰がしていたのか?デス・パレードの方が人数が多いので、黒髪の女はデス・ビリヤードのキャラのだれかの一部分を切り取って掘り下げたことになります。

『記憶が残っていたから』ゲームをしなかったキャラ・・・・そんなキャラはいません。でも、良い人生と悪い人生を比較し、良い人生とは何か?を考えるなら、

『記憶が残っていたから』ゲームをしなかったキャラ
=『記憶が残っていたのに』ゲームをしたキャラ

なんです。悪い人生を担うか、良い人生を担うかの違いだけで、これらは同じ要素なんです。

真智子や、みさきは自分の死を自覚していたとしてもゲームを拒んだでしょうか?ゲームは、たかしや洋介の闇を見るために必要なのであって、きっと真智子や、みさきは最終的にゲームを受け入れたと思います。

真智子はたかしのために憎まれ役になって。みさきは自分の人生を「お疲れ様でした」と労って貰い、泣きはらし自分の人生を受け入れたあとで。

よって、

『記憶が残っていたから』ゲームをしなかったキャラ
=黒髪の女=転生

まず黒髪の女はこうなります。そして、いよいよ至誠、至高、至極の人生は

『記憶が残っていたのに』ゲームをしたキャラ
=デス・ビリヤードの老人=虚無

となります。

老人は自分の死を知っていてなお、それに何の動揺も、未練もありませんでした。自分の生死なんて関係ない、ただ目の前のことに『誠』意を持って応えるのみ、です。

・・・・うろ覚えなのですが、老人がゲーム中に記憶を取り戻したって描写は一度もなかった気がするんですよね・・・・確認はできないのですが・・・・。

だから、もしこれが当たってたら爺様がマジでカッコ良すぎてどうにかなりそうですw

なので五話の『蜘蛛の糸』の話は、悪い人生を担っている=カンダタみたいな黒髪の女の暗示、なのかなと思ってみたり・・・・。

●もう裁定はついている?

でも、ここに辿り着くまでにはホントに紆余曲折がありました。ひたすら黒髪の女はどんな人生を担っているのか、虚無か転生か、唸り続けてましたからねw

例えば2話で、真智子達を送り出してから、

「自分で子供を殺してしまった彼の苦しみを、少しでも和らげるためよ。例え、恨まれたとしてもね」

黒髪の女はデキムを『真っ直ぐ見ながら』こう主張し、ノーナが微笑みながらそれを眺めます。

そして黒髪の女は「想像だけどさ」と言う時だけ『俯きますが』、それ以外はデキムを『真っ直ぐ見ながら』話しています。

「勘違いさえしなければ、あのお二人は・・・・」
「幸せになるはずだった・・・・」

でもデキムのこの台詞に、黒髪の女が『俯きながら』こう応えた直後、ノーナが鋭い視線になる描写があります。

そして画面外でノーナが向きを変えてない限り、その視線は黒髪の女に向けられているはずです。

「誰にでも間違いはある。ただな、人間の感情はふとした表情に表れることも多い。裁定者の癖に、易々と見逃すな」

だから、ノーナのこの台詞は、黒髪の女の仕草を見逃すな、と言う意味なのかなと思ってみたり。

俯いたのは、他人の幸せを喜べないのか、他人(男?)に不信感を持っていてそんな相手に巡り合えた真智子を妬んだのか、詳細はわかりませんが。

●三話はしげるが虚無いき?

また三話の黒髪の女の描写を見直してたら、しげるの方が良い人生である可能性を思いついてしまったり・・・・。

しげるが10フレ投げ終わった段階で8ピン差、舞が9ピン以上倒したら負けてしまいます。だから、しげるは全て思い出したのに何も言わなかった、舞にガーターを投げさせるために、自分が天国にいくために。

3話レビューではそう考えていました。

しかし、更にしげるの思考が次の段階まで予想できていたとしたら?ゲームを見て天国か地獄かが決まる、から更に進んで、

勝ち負けではなくゲームへの取り組み方こそ重要
=勝ち負けなんてどうでも良い、

そこまで読めていたとしたら?

そう、しげるは舞を天国にいかせるために敢えて悪役を演じたのです。幼い日の舞の笑顔が今でも心の中で輝き続けていたから・・・・。

といったところで

デス・パレード #6「クロス・ハート・アタック」

に続きます。


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2015年02月09日 01:43 by 元会長
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デス・パレード 日テレ(2/06)#05
Excerpt: 第5話 デス・マーチ 公式サイトから黒髪の女がデキムの手伝いを始めてしばらく経ち、今日もクイーンデキムに2人の客がやってくる。いつものように出迎えに行こうとした黒髪の女だが、 なぜかデキムに制止される..
Weblog: ぬる〜くまったりと
Tracked: 2015-02-09 09:59


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