冒頭は、あおいが色々な人に「今の仕事を選んだ理由」を聞いて回ります。
この時、あおいと同じ制作の落合と富ヶ谷のシーンだけ、周囲の喧騒や雑踏といった、判然としない雑音が混ざります。
(余談ですが、SHIROBAKOは登場人物多すぎるので、もうこのくらいのモブになるとEDクレジットを中の人から逆引きしないと名前がわかりませんw)
これは、まるで喧騒や雑踏を聞いてるみたいで、相手の気持ちがわからないという、あおいの心の演出です。
美術・大倉の時も環境音が入りますが、店内に流れる音楽と食器を洗う音と、全部の音が何の音かはっきりわかるようになっています。
大倉には十九話で既に話を聞いており、今回は酔っ払って適当なことをいってるだけです。食器を洗う音のような無駄な音を聞いている=酔っ払っている時に聞いても無駄だった、と苦笑いしているあおいの心境を演出しています。
これらより、前々から薄々とは感じてましたが、
『あおいは本当はクリエイターになりたい』
のです。
●13話のあおい
最初にあおいのこの想いに気づいたのは、十三話の井口にキャラデザを頼もうとするシーンでした。あの時あおいは、井口の線が好きだってことを具体的に長々と話しました。そして普段からそう思っていたから、本心からの言葉だったから、井口の心が動いたのです。
あの台詞には、溢れんばかりの憧れが篭っていました。
更に渥美を美術スタッフに勧誘した時も、
「あの、こんな質問をしたら失礼なのかもしれませんが、渥美さんにとって、雲の魅力って何ですか?(後略)」
と、あおいの言葉が渥美を動かしました。あおいは本当に美術の仕事に興味があったから、その心からの思いが渥美の心のわだかまりに触れることができたのです。
そしてずっと引っかかっていた、あおいが姉・かおりとスマホで電話するシーンで、ロロやミムジーを描いていた意味もこれですっきりします。あのシーンには
『私も絵が描けたら・・・・できれば絵が描きたいな』
という、あおいの抑圧された強い憧れが封じ込められていたのです。
まあ、十三話の時点では、これらは何となく引っかかってただけで、僕の中でここまではっきりした言葉にはなってませんでしたがw
●その後のあおい
また、十六話では原画班に混じり、あおいがゴスロリ様(小笠原)の話に聞き入っていました。
そして、17話レビューでもちょっと書きましたが、流し素麺のシーンでも、あおいは制作の仲間ではなく原画のモブと話し、原画達が集まっているところの端にずっと立っていました。
更に十九話のラストでは、大倉の絵を見て涙を零しそうになるほど感動します。
これらより、今まで制作という仕事に対するあおいの気持ちはほとんど語られてませんが、クリエイターに対するあおいの憧れはずっと描かれ続けていました。
そしていよいよ、今回冒頭の描写でほぼ確信が持てたので、これまで書いてなかった色々を一気にまとめて書いてみましたw
ただこう考えると、18話レビューで書いたありあ役の新人声優・鈴木京子に深く感情移入した理由が、
『同じ新人の自分を重ね、自分もあんな風にして貰いたい、羨ましいな』
と思っただけでなく、
『クリエイターのヒナとして頑張る姿に感動した』
から、という両方の想いがあったと考えた方が良いかもしれません・・・・絵だけでなく演技にも憧れを持っているのかどうかは、もう一回くらい描写がないと、今の段階では悩ましい感じですがw
●前回のラストの本当の意味
ただ、これらより前回のラストをもう一度解釈し直すと、
「(私には)やりたいことなんてない。これから見つけられるかどうかもわからない。でも、みんながやりたいことがあるなら・・・・それを、援護することはできる」
あおいのこの言葉で二十話を〆たのに、今回の冒頭があんなことになっていました。よって、あおいはあの台本に心を揺さぶられはしましたが、
『みんなを援護するために制作の仕事をする、なんて理由では全然納得できなかったのです』
だから、二十話のラストは、屋上のあおいを下から見上げる画で〆られましたが、あの時あおいは空を見ていなかったはずです。それが、意図的にあおいの顔が隠れるアングルにしていた理由です。
十五話の矢野との電話が終わり、あおいがミムジー達が飛ぶ空想の空を見上げるシーンと比べれば、その演出意図は一目瞭然でしょう。
でも・・・・だとすると、あおいに否定されたあの台本にはネガティブな意味が篭ってしました・・・・。
なら、木下監督の絵コンテが異常に早く上がったのが、むしろフラグに思えてきたり・・・・まさか第三飛行少女隊の最終回をリテイクなんて修羅場が・・・・?
まあ、クリエイターになりたいのに制作になったあおいと違って、ありあは飛ぶしかないと思ってパイロットになっています。だから、やっぱりそこには決定的な差があったってことを暗示するための演出だった、と今は素直に解釈しておきたいと思います。
●あおいとドーナツ
あと、今回の冒頭であおいはドーナツを見詰めながら考え込んでいます。ここに限らず買ったり、食べたり、見詰めたり、あおいはドーナツの暗示を持つのですが、その割に
『自分がドーナツになる≒人の輪を作るってことに否定的』
なのです。
今までここまではっきりした答えには辿り着いてなかったのですが、薄っすらとそんな思いを感じてたから「あおい=ドーナツ」の解釈を書く気がしなかったのかと、納得できた感じです。
高校時代、絵麻の絵やずかちゃん(坂木しずか)の演技などを見て、あおいは自分には才能がないと思ったはずです。そして高校では人の輪を作る必要なんてなかったので、その才能があるとは気づかなかったのでしょう。
でも、あおいは人の輪を作る/(良い)人を活かす秀でた才能を持っています。
だから、なりたい自分と、自分の適性がずれていた時、それらとどう折り合いをつけていくのか?その答えを探していくのだと思います。
●羨ましい・・・・
OP明けて、池谷が揺れる綱を這い降り、暗い排気口や洞穴を這い進み、脱出を試みます。
もし、矢野が脱走に気づかず出口にいなかったらどうしよう、と心を揺らし暗い穴を這い進むような池谷の心が演出されています。
そして、出口で待ってくれていた矢野を見て、明るく輝く夕日に照らし出されたような、温かい気持ちになっていたことも。
マジで羨ましすぎるので、担当をタローにでも変えてやって下さい、お願いしますw
・・・・まあ、色んな意味で担当を変えることはできないでしょうけど・・・。
●佐藤とあおい
そして矢野が池谷を連行し、制作室(?)で色々話していると、
「間に合わせるように頑張るのは私達ではなく、作画さんをはじめ現場のスタッフさん達ですよね。私はただみなさんが頑張るために頑張るだけ、というか・・・・」
佐藤 沙羅がこんなことを言い、あおいが本当に意外そうに佐藤を見詰めます。あおいも同じことが引っかかっていて、制作の佐藤がそれと同じことを考えてるなんて思ってもみなかったから・・・・。
あと、この時ナベPがモニターを向いたまま全く興味を示さないんですよね。ナベPがダメな演出その一です。前にも「何でこんな仕事選んじゃったかな〜?」みたいなことを言ってたし・・・・。
●適材適所
そこからスタジオカナブンにシーンが変わると、みーちゃん(藤堂 美沙)がずっとやりたがっていた動物の仕事を任されます。
更にムサニにシーンが戻ると、絵麻も、絵麻はキャラ担当、杉江はイノシシ担当として、一緒に同じシーンをやることになります。
これはその仕事をやりたがっている者や得意な者に割り当てる「適材適所」な人選です。
●サブタイトルの意味
その後色々あって、みーちゃんが絵麻とずかちゃんを誘って、担当になったシーンの3Dモーションの資料を撮るために、ジェットコースターに乗るシーンがあります。
ここでずかちゃんが、ジェットコースターに乗りながら台詞をあてたり、ジェットコースターから降りると、
「(前略)私今まで乗り物酔いってしたことなかったんだ〜。でもそういうシーンがきたら演技ばっちりだよ」
「私も。恐い時の表情良くわかった」
ずかちゃんと絵麻がこんなことを言ったりします。
『3Dに興味もなければ、ジェットコースターが好きでもない、敢えて言えば不適切な人選でも、やりようはある』
よって、このシーンにはこんな意味が篭められていました。
『クオリティを人質にすんな→担当のクオリティが低いから良いものができないと言い訳にするな』
というサブタイトルに篭められた真の意味を受けるシーンその一です。
だから(おそらく)3Dにも興味のあるあおいをここに登場させなかったのです。
●ナベPの演出
その後、三女一話の放送シーンで、ナベPがTVに背を向けて麻雀をする姿が映されます。せめて三女が気になって気もそぞろに打っていたと解釈したいところですが、ナベPがダメな演出その二です。
「監督は見えたけど、お前が見えねーんだよ」
因みに、後の飲み屋のシーンでザ・ボーン社長にこう言われてたのが演出その三です。
●瀬川の演出
翌日、あおいがムサニにいると、作監・瀬川からあおいのスマホに電話がかかってきます。
いい加減な平岡を降ろして欲しいというクレームでした。
「瀬川さんのおっしゃることはわかりました。一度平岡と話をさせて下さい」
そのシーンは、このあおいの台詞で終わるのですが、最後に映されるのは怒っている瀬川の顔でした。
この演出意図が非常に悩ましいのですが・・・・
まず、普通に考えたら、瀬川が怒ってる、それを一番強調したい、そんな演出です。でも、ここでは「クレームがきて困っているあおい」が一番大事なはずです。
瀬川は話を進めるトリガーなだけで、このシーンの中盤までにその怒りは十分演出されています。なら最後は、それで困ったあおいが平岡と話し合うという、次に繋がるあおいに焦点を当て強調するべきです。
なのに、ここでは敢えて瀬川を映しています。これは敢えてあおいを見せないことで、あおいの困惑を強調する演出ともとれます。でも、11話〜19話レビューで書いたように、これってそこに『何か裏がある』演出なのです。裏がなければ、王道の困り顔のあおいを映した方が、正確に強くその意図が伝わるので。
では、その裏とは何か?
『原画の都合だけで、制作メンバーをいとも簡単に降ろせといった瀬川に対するあおいの怒り』
です。制作の価値ってそんなものなの?クリエイターの判断でこうも簡単に切り捨てられるものなの?と・・・・。
●平岡に重なるあおいの想い
だから、この次のシーンで平岡と話し合った時、あおいはあんなにも悲しそうな顔をしていたのです。そして淡々と否定しながらも「クオリティを人質にするんじゃねえ!」という平岡の言葉に共感していたのです。
だから、あおいははじめてクリエイターではなく制作の人間に興味を持って、本心から尋ねることができたのです。
「じゃあどうして平岡さんは続けてるんですか?」
と・・・・。
今まで何度もそうやって切り捨てられてきた平岡が、それでも制作を続けている理由、もしかしたらあおいが制作をしている理由に繋がるかもしれないその答えを、あおいも知りたかったから・・・・。
そしてこれは、あおいの『良い人を活かす』言葉が出てきたということでもあります。あおいは心から興味を持てるような良い人が相手なら、渥美の時みたいに問題となっている事柄を的確に突き、解決に導く切っ掛けを作ることができます。それがあおいの長所です。
(だから、それが発動しないタローはダメというか、一周回ってむしろ凄いというか・・・・w)
逆にそんな言葉が出てきたということは、スレてしまってますが平岡は、本当は心から良いアニメを作りたいと思っている、実は良い人材なのです。
「くっ・・・・クレームがきたってんなら担当を変えてくれても良いですよ」
だから、あおいの言葉が的確すぎて何も言うことができず、平岡はこんな捨て台詞を吐いて会議室を出ていきます。
でも、その心にはあおいの言葉が深く入り込んでいました。
次のシーンで、平岡の「部屋=心」を区切るカーテン(?)をすり抜け「部屋=心」の中に入ってきた猫が、そのことを静かに演出していました。
●コーヒーの演出
翌日、あおいは矢野に平岡のことを相談します。
この時、矢野はカップにお湯を注ぎ、透明なお湯が黒いコーヒーとなってカップの中に満ちていきます。
矢野はお父さんのことで、平岡は真面目すぎた性格が災いして、純粋で透明だった想いが黒く濁っていった、そんな二人の心が暗示されていました。
でも、矢野はそんな熱く苦いコーヒーを少しずつだけど飲み込んで、あおいに
「(前略)今平岡君を降ろしたら、ここで終わっちゃうような気がする・・・・制作はさ、ネジの一、二本抜けてた方が、本人も周りも助かるのかも。(後略)」
精一杯こんな思いを告げるのでした・・・・自分では平岡を助けられない、またあおいに頼ってしまっている、そんな苦い思いも飲み込みながら・・・・。
一方、平岡はずっとコーヒーが飲めずにいるのです。だから、平岡の心の演出に猫が使われたのは、猫舌なんて意味も篭ってたのかなと思ってみたり。
そして、実はこの時あおいが何も飲んでなかったのも、黒く濁った現実を受け入れられていない演出でした・・・・。
●救われたのはあおいの方?
だから、あおいはこのあとコーヒーを飲むための答えを見つけたくて、A.C.ツチノコの社長・磯川 久光を訪ねたのです。
そこで二人が話す時、磯川が何か出しますが、きっとコーヒーだと思います、流れ的にw
そんな訳で、あおいは最初それを飲めませんでした。憧れてもなれない羨望の対象であり、勝手なことばかり制作にいってくる怒りの対象でもあるクリエイターを、まだ受け入れられなかったから。
「(前略)で、自分にできることはクリエイターのために場所を作ることかなーって。(後略)」
でも、磯川のこの言葉を聞いて、あおいは少しだけクリエイターを肯定することができ、
「磯川さんは平岡さんと正反対なんですね・・・・」
こう言いながら、ちょっとだけ熱くて苦いコーヒーを飲むことができました。
「平岡さんは、クリエイターさん達に対して凄く・・・・怒ってました」
そして、平岡を隠れ蓑にしたあおい自身の不満を続けたのです。
「磯川さんはクオリティとスケジュールのバランスってどう取ってるんですか?」
「クリエイターと制作が共有できる目標を、一緒に粘り強く探し続けて、落としどころを見つけることが大事なんだと思うね。(後略)」
そこから紆余曲折があって、この磯川の答えを本当に意外そうな顔で聞きながら、あおいもちょっとだけ答えに近づけた気がしたのでした・・・・。
まあ、その後の車の中で、ミムジーが持ってたのは開いてもいない缶コーヒーだったし、あおいは「私に何ができるのかな〜?」なんて呟くのですが・・・・。
●サブタイの真の意味
「(前略)それから、ちゃんとコミュニケーション取って欲しいです、瀬川さん達と」
「・・・・わかりました・・・・」
でも翌日、あおいは平岡を呼び出し、瀬川達と落としどころを探るようこう提案するのでした。また、担当を外されると思い、ムサニを辞めることも考えていたはずの平岡も、あまりに意外な言葉に呆然と、でも素直にこう答えたのです。
そしてこのシーンこそが、
『クオリティを人質にすんな→担当のクオリティが低いから良いものができないと言い訳にするな』
というサブタイトルに篭められた真の意味を受けるシーンその二なのです。
自分達の都合ばかり押し付ける瀬川(クリエイター)達に対する不満と、そんな不当な要求に屈し平岡を切りそうになったあおい自身を戒めた、二つの思いが篭った良いシーンでした。
●不穏な演出・・・・?
その後、飲み屋のシーンがあり、翌日木下監督の最終話の絵コンテがあがります。あまりの早さにみんなが驚きすぎて、また監督がいじけそうですw
「スケジュールはないですが、三人で頑張りましょう!」
「「はい!」」
そして最後はあおいと、佐藤、安藤のこの会話で〆られるのですが・・・・。
普通は気合を入れて言い切ったあおいの顔に佐藤達の「はい」を重ねるんですよね・・・・その演出でこそ、デスク宮森あおいの元、新人二人と一丸になって頑張ろうってポジティブな演出になるんです。
なのに、最後で画が新人二人に変わってしまい、あおいの頼もしさみたいなものがなくなってるんですよね・・・・。
更にあおいの視点が上向いてて、これ佐藤達を見てないんじゃないかな〜みたいな・・・・。
まあ、そんなのは気のせいということで、
SHIROBAKO 22話「ノアは下着です。」
に続きますw
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何にせよ、うらやましい…は同感です(^^;)
前回のラストシーンはポジティブに捉えたいですが(でないと今回の「制作らしい面構え」が空元気になってしまうので;)、順調過ぎる最終話コンテは嫌な予感しかしませんね…
変な話、シナリオに原作者のOKが本当に出てるのか甚だ不安です;
猫のシーンの演出意図は成程そういう…
猫好きアピールで視聴者のヘイトを少しでも緩和しようとしてるかと思ってましたw
サブタイトル関連で質問というか疑問ですが、今回のサブタイは作中のセリフ(「〜するんじゃねえ」)と全く同じじゃありませんよね。
どちらも崩れ気味の口語なので、あえてサブタイの言葉遣いを作中と変える意味は特にないように思えるんですが…何か意図があってのことだと思われますか?
(第5話の「人のせいにしているようなヤツは辞めちまえ」もセリフそのままではなかったと記憶しています)
…本当に「変な話」でスミマセン(^^;)
まず、あおいが平岡を切らずに瀬川達とコミュニケーションを取るように言ったシーンの解釈を説明し切れてない気がしたので、記事内に以下の説明を追加しました。
「自分達の都合ばかり押し付ける瀬川(クリエイター)達に対する不満と、そんな不当な要求に屈し平岡を切りそうになったあおい自身を戒めた、二つの思いが篭った良いシーンでした。」
冒頭からの流れを考えたら、人の輪を作るドーナツになるためにはどうしたら良いんだろう?と考えていたあおいは、瀬川の要求に反感を覚えつつも、佐藤が言ったように制作はクリエイターが頑張れるよう頑張るだけだと思っていて、瀬川の要求を飲むしかないのかなと思ってしまいました。
だとしたら『クリエイター達を援護するために制作の仕事を頑張るなんて悲しすぎるな』と思いながら。
だって、平岡もかつては(今でも心の奥底では)そう思って頑張っていたはずです。でも、どんどん現実とのギャップを埋められずクリエイター達に切り捨てられ続け、あんなにスレてしまったのです。
確かに、平岡がああなったのは平岡の責任でもありますが、平岡よりクオリティを優先し平岡を切り捨ててきたクリエイター達には責任がないのでしょうか?
もしクリエイター達に責任がないとして平岡を切らないといけないなら、それでもありあのように考えて制作の仕事をするなんて悲しすぎないでしょうか?
「今平岡君を降ろしたら、ここで終わっちゃうような気がする」
だからあおいは、この矢野の台詞に敏感に反応してしまったのです。
でも、あおいは、磯川に制作とクリエイターが共有できる落としどころを見つけていく、そんな道があることを教えて貰いました。
そしてそのためには、どうすれば良いのか?一晩考えて、あおいは、
『制作がクリエイターを応援するように、クリエイターにも制作のことを考えて貰って、共に落としどころを探す』
そんな道を選んだのだと思います。
●酔っ払いは・・・・
だから、飲み屋でザ・ボーン社長の伊波が「制作らしい面構え」といったのは、この部分を感じたからだと思います。前回のラストではなく、今回平岡を切らなかったことが、あおいの成長に繋がったのです。
でも、これは平岡をどうすれば良いか、という目の前の問題をなんとか乗り越えただけで、どうして制作の仕事をしてるんだろう?という根本問題の答えにはまだ到達していません。だから、それが今回のラストの演出に繋がったのです。
ただ、伊波がどこまで正確にあおいの成長を認識した上で「制作らしい面構え」と言えていたのか?っていうと、非常に疑わしいんですよね・・・・。
何故なら、伊波は完全に酔っ払いです。絡み酒でナベPに絡み、思いつきであおいを呼び出し、あおいが店にきた時はナベPにヘッドロックをかけたりして、挙句にあおいの名前を「宮森あさり」と間違えます。
だから「今度は名前を覚えたぞ」も怪しいもので、主にあおいを下らない思いつきで呼び出した罪で「あさりちゃんか!」と突っ込みながら、禁酒三ヶ月くらいを申しつけたいところですw
また、平岡は本心では真剣にアニメを作りたいと思っている実は良い人材だからこんな感じですが、タイタニックの演出とかはもう開き直っていて、それでも更生すると信じて関わっていくべきかと言われたら悩ましいところですけど・・・・w
一応、説明しきれてない気がしたので色々書きましたが、僕の解釈が当たっている保障はないですし、自分が正しいと思う解釈でご覧になられるのが一番だと思います。その解釈を探す過程で、僕の解釈が叩き台にでもなれれば幸いですw
●5話のサブタイトル
あと5話のサブタイトルですが、
「(上手くいかないことを)人のせいにしているようなヤツは、辞めちまえよ」
「人のせいにしているようなヤツは辞めちまえ!」
上の本編中の台詞から「よ」を抜いたために与える印象がだいぶ変わってしまっています。
本編中の台詞は、作監・遠藤の狭まっている視野を広げさせるために敢えて言った激励の言葉です。
でも、そこから「よ」が抜けたサブタイは、まるで罵倒のようになっています。
そして5話の中核は、タローが遠藤と3D監督・下柳の間を取り持つはずが、二人の言葉をそれぞれに歪めて伝えてしまい、二人の仲がこじれるところだと思います。そんな
『言葉を正しく伝えられず誤解が大きくなる現象を、本編中の台詞と微妙に違うサブタイで表現している』
・・・・気がしますw
●21話のサブタイトル
21話のサブタイトルは、誰の台詞かと考えたら、ミムジー(=あおい)だから、本当はあおいの想いを示している暗示・・・・だと思います。
こんな感じですが、宜しければまたお越し下さい。