さて、今回のサブタイトルは、漢字も書けない子供がはじめて「おかえり」とオーディションを受け入れられた、そんな意味になります。
そして『その子供=中世古香織』です(まあ、子供というと語弊がありますが・・・・)。
●香織が納得できない理由
何故なら、10話レビューでは、あすかの台詞を
「(香織は)ただ(全力を出し切れたと)納得してないんだろうね〜、自分に」
こう解釈していましたが、じゃあその"全力"って何?って話なんですよね。再オーディションまでの僅かな時間に、死ぬ寸前まで練習したとして、去年のイザコザで浪費した練習時間を取り戻せた(=全力を出せた)と香織が"納得"できるだろうか?と実はスッキリしていませんでした。
なので、正しくは
「(香織は麗奈との力量差を自覚していて)オーディションに不満があるとかじゃない。まして(去年のイザコザで練習時間を浪費してしまったことを)同情されたいなんて少しも思ってない。ただ納得してないんだろうね〜、(トランペットの練習より部内の仲裁の方を選んだ)自分に」
こうなんだと思います。7話でも香織が
「演奏者として、(あすかのように)あそこまで切り捨てて演奏に集中できたら、って思っちゃう」
こんなことを言っていて、(去年のイザコザで)演奏に集中できなかった後悔を示す伏線が入っていましたし。
でも、香織は去年の選択が間違いだったとは思ってないし、麗奈の方が上手いことを認めていてオーディションも正しいと思っています。
しかし、それでも、理屈ではわかっていても気持ちの整理が追いつかない、納得できないのです。
よって、香織自身もどうすれば自分が納得できるのかわかっていません。でも、そんな気持ちを持ち続けていたら去年あれだけ回避しようとしていた部内不和を香織が起こしてしまいます。
だから、何とか納得したくてその答えを探し続けていたのです。再オーディションも勝つためではなく、そこではっきり負けたら納得できるかもしれない、納得できて欲しいと、そんな気持ちで挑んでいるのだと思います。
●香織が納得できた理由その1
では、香織はどうして麗奈の方がソロパートに相応しいと納得できたのか?というと、吹奏楽部の『世論』が変わったからです。
大半は棄権票でしたが、人当たりの悪い麗奈と、これまで部内の仲裁に奔走してきた香織を比べて棄権ということは、実質麗奈に投票しているようなものです。当然、香織もそれを察しているはずです。
ではどうしてそうなったのか?
「北宇治高校では以前から、上級生が優先的に出場してきた。(中略)そこに突然降って湧いたオーディション。当然反対の声は大きかったが(後略)」
6話では、久美子のこんなナレーションより、オーディションが滝の独断で、部員の大半がそれに納得してないことが示されていました。
だから、本当の意味で承認されていない滝の独断オーディションは、優子が煽らなくてもいずれ同じような理由で破綻していたはずです。
でも、滝が部員全員でのオーディションを提案したことで、滝への不審が信頼に変わりました=(再オーディション込みで)オーディションが部員達に承認されました。
そして滝の指導を客観的に見ることができるようになった部員達は、滝の有能さを実感します。それにより、本当に全国にいけるかもしれない、だったらもっと上手くなりたい、とみんなが思えるような部になったのです。
今回、秀一が湖畔で個人練習していたのも、それを見た久美子が
「・・・・上手くなりたいな・・・・上手く・・・・」
と呟くのも、部の意識がそんな風に変わっていることの演出です。
よって、こう思いながら上手さではなくしがらみを優先して香織に投票すると、自己矛盾を起こしてしまいます。だから、部員達は棄権するしかありませんでした。
そして香織もそんな部の変化を実感します。だから、滝に
「中世古さん。貴方がソロを吹きますか?」
と聞かれた時、もし、一年前の大半がいい加減な部だったら、香織もソロパートを受けていたと思います。だって、コンクールに出たところで落選は確実で、誰がソロパートを吹いても変わらないからです。つまり、香織が去年先輩に譲ったのはそんな下らない底辺の座です。
しかし、今年のソロパートは違います。全員が全国を目指し、上手くなろうと努力している、そんな部員達の思いを背負える者だけが座ることのできる頂の座なのです。
香織はここまで明確に状況を言語化できてはいないと思いますが、それでも感覚的にこれらのことをホールの雰囲気から感じ取ったのだと思います。
●香織が納得できた理由その2
そして、そんな部の雰囲気や、滝に直接ソロを受けるかどうか問いかけられたことで、香織は違和感を覚え、それを頼りに自分の本当の思いを見詰め直すことができたのです。
滝に問われ香織が考えるシーンで、香織しか映されないのはその演出です。麗奈の方が上手い事なんて前々からわかっていました。だから他人の演奏は関係ありません。香織が納得できなかったのは去年の自分に対する後悔だけで、向き合う必要があったのは自身の心だけでした。
そして香織は『違う』と思ったのです。
後輩(優子)や親友(晴香)があんな心配そうに、辛そうに自分に投票してくれました。更に、その他の大半の部員も、(麗奈の方が上手いと思いながら微妙な空気で)棄権してくれました。
でも、こんな思いをして、部員達にそんな後ろめたい思いまでさせて、ソロパートを吹くことが香織の望みだったでしょうか?
勿論違います。
滝(やそれに触発された部員達)の上昇志向に当てられて、香織もソロパートに拘ってしまいました。つい『世論』に惑わされてしまいました。
でも、そんな上昇志向が煮詰まった場所に立って、香織はその違和感に、それが自分の本当の望みではないことに、やっと気付くことができたのです。
だから、香織は自分が"今年の"ソロパートを吹けるほど上を目指してなかったことと、好きなトランペットをただ楽しく吹きたかったんだという、本来の自分の心を思い出すことができました。
香織がソロを辞退した後、優子が
「先輩は、トランペットが上手なんですね」
「上手じゃなくて、好きなの」
香織とのこんな会話を回想するのは、そんな香織の演出です。
(そして後述しますが、そんな香織こそ本当の香織だと思ってしまった優子の演出です)
香織は上手くなるためではなく、ただ好きだからトランペットを吹いていました。なら、香織がソロパートに拘る理由なんてありません。
むしろ、香織が好きなトランペットを楽しく吹くためには、上手さを求めてずっと練習し続けてきた麗奈がソロパートをやるべきなのです。
「音楽というのは良いですね、嘘を吐けない。良い音は良いと言わざるを得ない」
よって、10話で松本が言ったこの台詞は、部員達が正しい判断をするという意味ではありませんでした。
"上手じゃなくて好き"という音を出していた香織は、"(自分は)上手じゃなくて好き"なだけで、ソロは麗奈の方が相応しいと言わざるを得ない、という意味になります・・・・松本がそこまで読んでいた訳ではないと思いますがw
そして、優子もそんな香織こそ本当の香織だと思ってしまいます。だから、ソロを辞退した香織に、一年前笑いかけてくれた香織の姿を重ねてしまったのです。
何故なら、優子はそんな風に、みんなが楽しく吹けるように貧乏くじを引いても、優しく笑いかけてくれた香織が眩しくて、ずっと慕い続けているのだから・・・・。
でも、理屈ではわかっていても、最後まで笑って貧乏くじを引ききった香織の姿に、優子は涙を止めることができませんでした。
だから、多分香織(か夏紀)がフォローしてくれるとは思いますが、このままだと香織の引退と同時に優子も辞めちゃうんじゃないかな〜とちょっと心配してみたり・・・・。
●対極の香織と麗奈
こんな感じで今回は、
香織の去年の不運を知り、優子に頼まれても、ひたすら上を目指しきった麗奈
と、
去年貧乏くじを引きながら、滝などの上昇志向に当てられても、楽しく吹きたいという自分を貫いた香織
が、非常に対照的に描かれていました。
●最初に地獄から脱出したのは・・・・?
あと、上の方でいきなり『世論』なんて書いたのは、1話レビューで書いた『地獄のオルフェ』の暗示を受けているからです。
オルフェは妻をサタンに攫われますが、愛人がいてむしろ好都合だったくらいです。なのに、悪魔に屈して良いのか?なんて『世論』に流され、地獄に妻を取り返しにいくことになってしまいます・・・・これが、地獄のオルフェのあらすじです。
そして、中学の時いい加減な周りに流された久美子、ひたすら上を目指す周りについていけなかった緑、去年の部のイザコザで練習時間を浪費してしまった香織、など多くのキャラが下らない『世論』に流され、地獄を彷徨っている訳です。
なので、この作品は各キャラがそんな地獄から生還する再生の物語だと思っていました。
よって、この解釈でいけば地獄から一番に脱出したのは僅差で今回の久美子ということになるのですが・・・・
久美子は麗奈というジョーカーに引っ張られているだけで、余り達成感のある描かれ方をしてないというか、香織の影に霞んでいるというか・・・・w
何故なら、香織を地獄に引きずり込んだ『世論』が変化したことで、香織は新しい『世論』によって地獄より脱出することができました。なので、香織の方が物語的に断然面白いんですよね・・・・w
だから、この作品の主題は"オルフェの(単独)生還"ではなく、
『オルフェと好き勝手言っていた世論の再生』
もしくは更に進めて
『再生した世論によるオルフェの再生』
なのかと思ってみたり・・・・なので、どれで解釈するかで最初に地獄から生還したキャラが変わるんですよね・・・・w
あとは細かいところを幾つか・・・・。
●緑の本心は?
今回、久美子が緑と葉月と昼ご飯を食べるシーンがあります。でも、久美子は麗奈のことが心配で、二人を残して麗奈を呼びに行きました。
「久美子ちゃんらしいです。緑は好きですよ」
そんな久美子を見て緑はこう言うのですが、これ、本当にそう思ってるでしょうか・・・・?
9話でも、緑が失恋した葉月を心配して久美子に相談するのですが、久美子は適当に流します。音楽への向上心がない緑達を久美子が重視してないからです。
「緑はそんな久美子ちゃん、好きですよ」
そんな久美子に対して、ここでも緑はこう言ってました。
これらより、今回麗奈を呼びに行った久美子を見て、9話では葉月(や、葉月のことを相談した緑)を突き放したのに、違うパートの麗奈のことはこんなに心配するなんて、とか思ってそうなのですが・・・・。
更に、今回の再オーディションの投票で、久美子は立ち上がってまで麗奈に投票し、葉月もそれに流されますが、緑は久美子の真横で棄権していました。
何故か?勿論、緑も久美子が緑達を大事に思ってないことに気付いているからです・・・・多分。
まあ、9話の時からずっとヤバそうだとは思ってましたけど、久美子、緑(、葉月)の関係はホントに危なっかしいんですよね・・・・。
●あすかは何を思う?
あと、上を目指して全力で吹ききった麗奈の演奏を聞いて、あすかの心が揺さぶられたような演出が入っています。
10話レビューで書いたように、あすかは音楽への向上心に何かが混じっています。だから、麗奈や夏紀と違い、久美子が心を開いていないのです。
でも、ただ純粋に上を目指す麗奈の演奏を聞いたことで、あすかにも良い心の変化が起きそうになっている・・・・と良いなw
といったところで、やっぱり久美子と麗奈はガチ百合じゃないですかぁ!(歓喜)と叫びつつ、
#12「わたしのユーフォニアム」
に続きますw
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秀逸かつ的確な論調に感心しました。
再オーディションのシーンは私もとても感動しました。
それぞれの気持ちがぶつかりあったあのシーンは忘れられません。
全国大会や大きなコンクールのある部活ものの物語では、上を目指し、向上心を持った者のサクセスストーリーを描くのが王道になっています。
この作品でも麗奈、久美子、滝とかがそうなのですが、でも、上を目指すより人間関係を重視する香織達を同時に描くことで凄く面白くなってるんですよね。
ファッ○ンな現実的には、生き残り競争から脱落した者は、葵や麻美子のように敗者としてその世界での居場所を失ってしまいます。
でも、一番星でなくても、星空全体が輝くための目立たない伴星が自分の選んだ星だと、競争に勝ち残ることが全てじゃないと、自らソロパートを辞退した香織は、麗奈と対になり得る綺麗な一番星になっていたと思います。
こんな感じですが、宜しければまたお越し下さい。