さて、本編を追っていく前に、まずは1〜3話記事の反省をしてみたいと思いますw
1〜3話記事で度々触れましたが、
物語シリーズにモブがいない理由、撫子と翼が暦に恋した理由、傷物語が延期された理由
を書いたことにより、「(僕が解釈する)物語シリーズの主題をだいたい掴むことができました」。
そして、主題さえ掴んでいれば、細部の解釈や展開予想をそう大きく間違うことはありません。
・・・・なのですが、物語シリーズの意地悪さは予想以上でしたw
『怪異』と関わりのあるキャラ達は、その時点でもうどうしようもないアレな闇を抱えています。なのに、それがわかっていながら女の子ということで老倉育を極力良い方に解釈しようとした、そんな僅かな、小さな隙さえ許されるような作品ではありませんでしたw
阿良々木暦のように『鬼』に成り下がったアレなアレと、育に関しても男女平等解釈していれば・・・・というのがまず一つ目の反省点ですw
また、2話感想の最初の方で、
「物語シリーズにモブがいないのは、暦達『怪異』が『ニンゲン』をもう認識できない演出です。でも、それは逆に『怪異』同士なら出会った瞬間にある程度までは察し合えるということでもあります」
と書いていたのに、そうとわかっていながら、その認識がまだ全然足りませんでした。
以降はどうしてそう言えるのかを見ていきますが・・・・
上記のように物語シリーズは意地悪すぎる内容なので、(1〜3話記事の手応えからして・・・・まあ、2話感想がかなりアレだったので3話感想から方向修正してますけど)枝葉の演出を解釈してもあまり意味がありません(意地悪すぎて大本の解釈だけで手一杯ですしw)。
なので、まだネットの感想ブログ様でだいたいのあらすじを見ただけですが、あまり細々と書いてもどうせ外すだけなので、大きいところだけ追っていきたいと思いますw
●ひたぎはどんな子?
さて、そんな訳で、まず注目するのは、
『今回、戦場ヶ原ひたぎが暦を助けようとしないこと』
です。羽川翼は忍野扇と修羅場を演じてまで暦を守ろうとしているのに、どうしてひたぎはズル休みを決め込んでいるのでしょう?
その理由は、まず
暦達が『偽物』な理由、貝木がひたぎを助けられなかった理由
この記事より、
『ひたぎは本当に人は自分で助かるだけ(自分の問題は自分で解決すべきだ)と考えているから』です。
『怪異』なんかじゃなく普通の人間であるひたぎが、悪い詐欺師の貝木に騙され蟹に行き遭ってしまった・・・・そんな貝木の『嘘』に騙されたままなら(貝木の言葉を信じ続けるなら)、ひたぎはいつまでも可哀想な被害者として、『怪異』としての自分から、自分の心の闇から逃げ続けることができました。
でも、貝木の嘘が優しすぎて、自分に厳しいひたぎは自分で自分が許せなくなり、化物語1話に続く訳です。だから、
『ひたぎは暦の問題も暦が解決すべきだと考えていて、翼のように深入りしたりはしないのです。千石撫子の時は、暦の問題というよりは撫子の問題だったので、ひたぎは撫子を見捨てました。ひたぎの考えではその場しのぎの誤魔化しなのに、貝木に撫子のことを頼んでしまったのだから・・・・』
よって、恋物語3話でひたぎが泣いたのも、貝木がでっち上げたような「ずっと心配し続けていた撫子の問題から暦を助けることができた」からではありません。
一度は貝木の優しさにすがってズルをしようとしたひたぎですが、結局自分で自分を許すことができず、救われることはありませんでした。
でも『ゴミの役にも立たない』暦が、忍野メメを紹介してくれて、厳しいメメに丸投げしてくれたから、ひたぎは自分からズルを悔い、けじめをつけ、『怪異』から怪異モドキに戻ることができたのです。
なのに、それがわかっていて、ひたぎはまたズルをしようと、詐欺師の汚名を被り誰かを助けようとする貝木の優しさに甘えようとしてしまいました。
根本的な解決にならないという意味で貝木を詐欺師だと思いつつ、なのにそんな貝木の優しさに付け込んでまた助けてと言ってしまった、口先だけの卑怯で不甲斐ない自分への憤りと、でも確かに弱いままの自分でいれば救われていた面もあったという初恋だった貝木への複雑な思いが混ざった自分への言い訳と、そんな言い訳を考えてしまう自分の情けなさ・・・・ひたぎの涙の正体はそんなどうしようもない思いだったはずです。
まあ、上記はあくまでひたぎ視点で、心の弱い甘えん坊の撫子はそんな貝木の優しさがあったからこそ救われた訳ですがw
そう考えると、撫子はひたぎが動かざるを得ないほどヤバい、忍曰く「わからず屋で甘えん坊のガキ」、「大したことあった」相手でした。
よって、終物語2話で、ひたぎが「大したことなかった」と言った育は、
『ひたぎが動いたりしなくてもまだ育自身で自分を変えることができる相手』
ということになります・・・・女の子キャラだから贔屓とかじゃなくて本当に・・・・きっと、多分w
これらより、ひたぎは扇と育をそんな風に、まだこちら側のキャラだと捉えていることがわかります。
だから、終物語2話で育をノックアウトした後のひたぎの言葉、
「阿良々木君、私も気絶するからあと宜しく」
というのは、
『二年前の学級会と合わせて考えれば、暦をどうしても家に呼びたいという育の思いを察したので、あとは暦が暦としてそれに対応してね』
という意味でした。
●証明完了!
なので、終物語2話で、
『育がわざとひたぎの目の前で暦を刺して、ひたぎと喧嘩になるよう仕組んだのも、全ては暦が育の家に来るよう仕向けるため』
だったのです。
(ひたぎも何となくなのかほとんどなのか、そんな育の意図を察したから「ぶっ殺す」と育の方に歩いていった・・・・みたいな)
終物語3話感想でも書きましたが、そもそも育が二年前に数学の勉強会を開いたのも、鉄条が不正するよう誘導するためでした。
つまり、学級会を開くための口実を得て、学級会では多数決で不当な犯人にされる委員長を演じ、そのせいで引きこもったように見せたのは、暦の同情を引き、暦が育の家に来るよう仕向けるためだったのです。
なら、勿論、終物語2話で育がひたぎと喧嘩したのも(、ひたぎに殴られわざと気絶したフリをしたのも)、同じ目的だったと考えない方がおかしいでしょう。
よって、終物語3話のラストの暦の
「僕は教室の前に到着した。この扉の向こうに、老倉育がいるのかどうかは、さてもまったく不可能な証明だった」
この独白は間違いもいいところです。意地悪で意地悪で仕方ない物語シリーズのアレな暦が断言したのだから、逆説的に証明可能な問題に決まっていますw つまり、
『五年前も、二年前も、そしてひたぎとの喧嘩も全ては暦を家に来させるため(家の惨状を通報して貰うため)の茶番でした。なら、昨日それを仕かけ終えた育が学校に来ているはずがありません、Q.E.D.!』
ですw
なので、今回、育はやって来た翼を邪険にしたようですが、暦ではなかった八つ当たりや、暦が来ていると聞いて内心浮かれまくっていると仮定すると、凄く可愛いんじゃないかなって気がしてきます・・・・よね!w
そんな訳で、普通は1話先、できれば2〜3話先の予想をしつつ主題を掴めれば良いな〜と記事を書いていますが、物語シリーズは1話前をできるだけ正確に解釈できれば良いか、というスタンスにしようかな〜なんて思ってみたり・・・・w
といったところで、
終物語 第5話「そだちロスト 其ノ貳」
に続きますw
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