さて、一般的にアニメの主人公といえば、様々な欠点がありつつも総合的には好感の持てる部分が上回るいい人物として描かれることが多いです。なので、阿良々木君もそうだと思われている方はここでお帰り下さい。
●化物語2話の伏線
そんな訳で、以降は「鎧武者=初代怪異殺し(?)」が声と一緒に(?)コピーした阿良々木君の真の姿、蟹やらカタツムリやらが合体した姿が、化物語2話の時点で既に暗示されていたこと――阿良々木君が如何にアレだったかということを書いていく訳ですが・・・・その話をしようとするとまず化物語2話からっていうのが、また意地悪というか何というかなんですよねw
面白可笑しいギャグなどに隠して、こんなアレな要素を隠し持つなんて、ジャンル詐欺だと文句の一つも言いたいところですが、作者の方的には
「化物語2話からちゃんと伏線を入れていて、そんな作品だと最初から示してました」
っていう(普通は気付かない)伏線が入っている訳ですw
では、その伏線とは何だったのかというと、
『ひたぎが重さを取り戻した翌朝、阿良々木君の体重が百キロになっていたこと』
です。
そもそも、なんでそんなことになってしまったのか? それは忍野メメが
『わざわざ阿良々木君なんかを蟹の神域に同席させたからです』
万が一の時ひたぎを守るように、なんて訳のわからない理由で。
メメに「被害者面が気に入らない」と言われても甘んじてそれを受け入れられた(自分がズルをしていることを自覚し、それを悔いようとしている)ひたぎに、何かしらの問題が起こるとは考えにくいです。もし起きたとしても小さな何かで、そんなに心配することでもないでしょう。
それに、ひたぎに襲いかかった蟹をいとも容易く引き剥がし、踏みつけ、行動不能にしたメメに万が一が起こるなんて思えません。むしろ、ド素人で、「半吸血鬼=心に重大な欠陥を抱え未だに『怪異』の力を手放せないアレな阿良々木君」なんかを同席させる方が遥かに万が一の危険が高まるでしょう。
猫物語(黒)では、首を突っ込もうとする阿良々木君に
「ここから先はプロの仕事だ。素人の、まして未成年の出ばる幕じゃないんだよ。(中略)バランサー失格だよ。僕はセオリーを無視して、ポリシーに反したことをしてしまった。君が今回受けた被害はかなりの割合で僕の落ち度だ。親御さんに申し訳ない」
ここまで言っていたメメが、そんな苦い経験をしていたメメが、駄目元の保険みたいなノリで、万が一が起こるかもしれない神域に、わざわざアレな阿良々木君を同席させるなんてあり得ません。
なら、どうしてメメは、(原作「まよいマイマイ」のひたぎの台詞より)ひたぎから見ても「ゴミの役にも立たない」阿良々木君なんかを同席させたのか?
それは『阿良々木君が蟹に押し付けている思いを力ずくで阿良々木君に戻すため』です。化物語2話でメメ自身が
「結局こういうのって心の持ちようの問題だからさ。お願いできないなら、言葉が通じないなら、戦争しかないのさ(阿良々木君のように)。まあ、このまま(メメが蟹を足で)潰しちゃったところで形の上では解決するからさ」
と言っていたように。
だから、それがちゃんと演出にも反映されていました。ひたぎが土下座して自分でお願いできたのを見届けたメメが、
『蟹を踏み潰す』
演出がしっかり入っているのです。
蟹が破裂するような音がする前にメメの足が下に動き出しているので、メメが足に力を込め蟹を押し潰したから遅れて破裂音がしたという流れになっています。
原作にある『阿良々木君視点』の描写、
「忍野の足が――床を踏み鳴らした音だった。無論、踏み潰した――のではないの『だろう』。そうじゃなく、いなくなったのだ。ただ、そうであるように――当たり前のようにそこにいて、当たり前のようにそこにいない形へと戻ったの『だろう』。(ひたぎと阿良々木君の中に)還ったのだ」
だと破裂音がしてからか、少なくとも音とほぼ同時にメメの足が下がり始めなくてはいけません。だから、原作の描写とこのシーンが明らかに異なっています。
演出ミスでしょうか? でも、有能なアニメスタッフと「まよいマイマイ」の時から
「高校で変わってしまったのは勉強についていけなくなったから」
なんて嘘を平気で吐いていた阿良々木君、どっちを信じるかと言われたら、僕は断然アニメスタッフを信じます。
よって、メメは本当に(阿良々木君の後悔も抱えていた)蟹を踏み潰していたのです。阿良々木君には「土下座できたひたぎのようなニンゲンらしいこと」を望むべくもなかったから。
だから、阿良々木君は、上記した原作の描写でわざわざ
「無論、踏み潰した――のではないのだろう」
とメメが「踏み潰した」ことを否定しました。どうやっても踏み潰したようにしか見えなかったから、駿河の「猿の手」のように別の理由を捏造したのです。メメがひたぎの蟹をわざわざ踏み潰すはずがない、と。
終物語7話感想で書いたように、「するがモンキー」のラストで阿良々木君がひたぎを「強欲」だと言ったのと同様に、全ての真相がわかっていたから、敢えてそれに気付いていないという言い訳を捏造したのです。
(ひたぎをメメに紹介したのも阿良々木君のためだった、とまでは言いませんが、途中のいずれかの段階から)自分も一緒に助けて貰っていることを自覚しながら、あくまで阿良々木君はひたぎのために一生懸命動いているだけだと、偽の状況設定を作り上げて。
どこまで卑しいクズ野郎なんでしょうか・・・・。
それに、物語シリーズでは人の心と『怪異』が密接に結びついていて、それが物語の要になっています。だから、その辺のことをいい加減に扱うと、心の問題までもが陳腐化します。
蟹がうっかり他者の後悔までひたぎに返してしまい、ひたぎの涙の中には全然関係のない他者の後悔によるものが混じっていた、なんて興醒めもいいところでしょう。
なら、もし仮に、メメが踏み潰したのではなく、神様がうっかり、ひたぎと一緒に阿良々木君にまで重みを返してしまったとしても、それは『阿良々木君の重み=思い』であるはずです。
だから、標準を遥かに超えた百キロの重みは、阿良々木君が『ズル』をし続けている罪の重さであり、阿良々木君が咎び・・・・咎怪異である何よりの証でした。
なので、化物語2話の時点で、阿良々木君がひたぎの比でないくらい『ズル』をしていて、しかも、自分でそれを認めることもできず、謝ることなどできはしないとメメが諦めるほどアレであることが示されていました。
そうでないなら、メメの足が下がった時、わざわざ床を踏み鳴らさなくて良いんですよ。
「忍野の足が――すっと床に着く。いなくなったのだ。ただ、そうであるように――当たり前のようにそこにいて、当たり前のようにそこにいない形へと戻ったのだろう。還ったのだ」
みたいに。
よって、これらの理由より、メメが踏み潰した蟹が阿良々木君の蟹でもあって、阿良々木君が蟹の怪異も内包していたという結論になりました。
●まよいマイマイ
しかも、それが「まよいマイマイ」にまで綺麗に繋がっているのです。
今まではかつてのひたぎと同じように、母親への思いも蟹に丸投げで考えもしなかった阿良々木君が、メメのおかげで強制的に思いを取り戻し、母の日にいたたまれなくなったからあの公園へと逃げ出したのだ、と。
なので、阿良々木君がカタツムリに行き遭うのは当然で、あれは八九寺真宵の問題であると同時に、
『阿良々木君の問題でもありました』
家に帰って母親に会いたくないなんて思いから、真宵に行き遭い、真宵を口実に家に帰ろうとしなかった阿良々木君の。
まあ、カタツムリに関しては表の流れでも真宵が『怪異』そのものであり、それに行き遭った時点で、阿良々木君の中にもカタツムリがいたという証になるので、わざわざ書くまでもないでしょう。
●全くの他人事
だから、阿良々木君の
「お前には聞こえなかったんだよな、戦場ヶ原。(中略)お前には見えないし聞こえないし匂いすらも感じないんだろうけれど、それでも、それだからこそ、こいつを無事に母親のところにまで送り届けることが、僕の役目だ!」
この台詞とかご大層な御託を並べてしゃらくさいんですよ。そんなにご立派な正義の味方なら、ただ一言、
「真宵を助けたいと思っている『僕を助けてくれ』」
と、ひたぎやメメにお願いしてみせろって話です。阿良々木君が相手の善意に甘え、不当に踏み倒しまくっている依頼の言葉を一回でも良いから言えるものなら言ってみろと。
お節介の人助けをしている風で、阿良々木君はひたぎのことも、真宵のことも、駿河のことも、撫子のことも、翼のことも、全くの他人事なんですよ。
阿良々木君の持ち込んだ問題として「誰かを助けたい阿良々木君を助けて」とメメ(やひたぎ)に借りを作るのではなく、あくまで「ひたぎや真宵や駿河や撫子や翼」の問題として「(当人が助けてと言ってるから)助けてやるべきだ」とメメのところに連れて行く訳です。
よって、これらは『阿良々木君の問題じゃないから阿良々木君の借りではなくて、阿良々木君は単にメメを紹介してるだけ』なのです、阿良々木君の中では。
なので、そんな思いを抱く阿良々木君が自分を偽物だと否定するのは、謙遜でもなんでもなく、至極真っ当な当然の評価なのです。むしろ、この上正義の味方気取りなんぞをしていようものなら、もう(検閲済)でどうしようもありません。
だから阿良々木君は、阿良々木君の借りとして誰かに「助けて」と言うくらいなら、他人になんて相談しません。恋物語のように百パーセント死ぬとわかっていても自分の力だけで出来ることをやって自己満足に浸りながらひたぎ達もろとも死ぬだけです。ひたぎ達の命なんかより、そんな自分の気持ちの方が遥かに大事なんですよ、鬼畜なお兄ちゃんは。
もし、相手の方から阿良々木君を助けたいと手を差し伸べてくるなら、それは相手の意思だからそれまで無碍にはしないけど、でも口では感謝した風なことを言いながら阿良々木君が頼んだことではないんだから借りだとも思わない・・・・なんて欺瞞に満ち満ちた思考なのです。
しかも、上記のように、メメが本当は阿良々木君も一緒に助けようとしているのを察しているのに、僕はそんなことには気付いてない、なんて言い訳をして、猫物語(白)で阿良々木母が言っていたように、現実から目を逸らすどころか完全に逃げ出して。
まあ、阿良々木君が誰かを助けようとしたい(≠助けたい)って気持ちだけは本当です。でも、阿良々木君は単に『自分のみの力で誰かを助けようとしたいだけ』なんです。その結果として事態を悪化させようがどうしようがそんなの知ったことではないし、有効な手段、メメのような専門家に「助けて」と頼む選択肢があったとしても絶対にそれを実行しません。阿良々木君がメメに頼むのではなく、当事者を紹介するだけで、まるで他人事なのです。
だって、他人なんかのことより自分が「助けて」と言いたくないって気持ちの方が遥かに大きくて大事だから。
(化物語2話でも、メメがひたぎの案件を「阿良々木君の『紹介』だしね」と非常に含みのある言い方をしていたように)
勿論、メメはそんな阿良々木君の思いなんてお見通しなので、化物語8話(するがモンキー)では
「(前略)そもそも雨ガッパの正体がお嬢ちゃんだとわかった段階で、阿良々木君はどうしてお嬢ちゃんの話を聞こうなんて思ったんだい。その時点でお嬢ちゃんをすっ飛ばして僕のところに来るのが、本当だっただろうに」
こんなことを言っていました。
「薄暗い塾の廃墟で=こんなことを言っても無駄なのだという諦め」と「阿良々木君と背中合わせに=二人が真逆の思考を持つ」なんて演出を受けながら。
『なんで阿良々木君の問題として、化け猿に襲われたから助けてくれ』とメメに頼みに来なかったのか、と。
よって、阿良々木君が駿河の家に話しに行ったのは、一連の問題を駿河の問題としてメメに紹介するための口実作りだったのです。自分の問題として「助けて」とは絶対に言いたくなかったから。
だから、鬼物語1話では、斧乃木余接が阿良々木君と
「羽川? それは誰?」
「何でも知ってる(からメメのように、阿良々木君が助けてと言わなくても助けてくれる)奴」
「どうかと思うけどね。(相手の方から手を差し伸べてくれるからといって、正式に「助けて」とすら言えないまま)そんな風に誰かに頼りっきりになるのは。(それがわかっていながら)鬼のお兄ちゃんをついつい助けてしまったボクが言うのもなんだけどさ」
こんな会話を交わした後、「阿良々木君の影=阿良々木君がより他人に頼らずに済むように『怪異』の力でアレ方面に引き込んでいる忍野忍」を踏みつけていました。
ペアリングさえ切れれば、終物語8話で駿河にカタツムリの解決を暗に頼んだくらいには、「助けて」と明言はできなくても、多少でも阿良々木君の心が改善する・・・・可能性が少しは出てくるかもしれないから。
●各エピソードの繋がり
話を戻して、そんなこんなで、蟹の時と同じく、真宵を送り届けることで阿良々木君の心の問題を解決しないままだったけれど、表面上、家に帰ることが出来た阿良々木君が、今度は「駿河=猿」に行き遭います。
(一応、阿良々木君が月火達に「来年は家の敷地から出ない」なんてアレな約束ができたことすら成長なのだろうから、元がどれだけアレだったのかって話です)
終物語7話感想で書いたように、駿河は「猿の手」のように
『言い訳を捏造しては大切なものを切り捨てていて』
ひたぎへの恋心を捨てるために阿良々木君を殺そうとしました。
なので、千石撫子をはじめ、それこそ数え切れないものを切り捨ててきた阿良々木君がそんな「猿」を宿してない方が不自然だと言えるでしょう。
駿河の次に「撫子=蛇」に行き遭ったのも、撫子に気付くことができたのも、阿良々木君が小学生の時に『切り捨てた』撫子への思いを、猿の一件で取り戻していたからと綺麗に前後が繋がりますし。
だから、「猿」も元々阿良々木君の中に潜んでいたのです。なら、嫌な思いは蟹に丸投げし、母親に会いたくなければカタツムリを口実にして、撫子のことを気にかけつつ猿の手のような言い訳を捏造してはその思いを切り捨てて、そんなアレな阿良々木君が普通に見えるよう振る舞っているなんて、「猫を被っている=猫を含んでいる」としか考えられません。
猫物語(黒)で、恩人であるはずのメメに対してすら、いとも簡単に「殴り飛ばしたくなる」ではなく
『殺したくなってくる 』
と言えたドス黒い阿良々木君の本性を、猫が隠していることなんて明白です。
終物語6話感想で書いたように、翼にかつて阿良々木君が父親を殺した(見殺しにした?)時のことを重ねている阿良々木君に、メメがちょっと正論をぶつけただけで、いとも容易く本気の殺意を込めて『殺したくなってくる』なんて言える(検閲済)なんですよ、阿良々木君は。
そんな裏の流れを見てないと、猫物語(黒)の最大の違和感は何を置いてもこの台詞だと思います。
あと、蛇は「ウロボロスの輪」や「蛇の道は蛇」という言葉があるように繋がりを暗示するものです。なので、撫子の周りでは、お呪いのせいで疑心暗鬼になり、その繋がりが絶たれていました。
だから、
「友達は要らない。人間強度が下がるから」
なんて痛いことを言っていた阿良々木君が、それを内包していたこともわざわざ書くまでもないでしょう。
傷物語で翼に助けれられてから、表面上はそんな痛い阿良々木君に相応しい痛いことを言わなくなっていたようですが、それも表面上のことでした。だって、未だに阿良々木君が翼に「助けて」と言ったことなんてないからです。
でも、撫子との一件を経ていたから、忍に助けを求めればいつでも忍が来ることができるようお膳立てしてくれた、半怪異の阿良々木君と同じくほとんど『怪異』と化していた親近感を覚える翼の思いを受けて、ほとんど一体化している自分に等しい忍に対してだけは、心の壁を取り払い
「助けて、忍」
と言うことができたのです。失敗すれば数十億のニンゲンがゾンビになるなんて綱渡りの果てに・・・・。
●終わりに
なのでこんな観方をした場合、物語シリーズはエンタテイメント、娯楽を感じる作品ではありません。僕の主張としては、こんな重いものをバカ正直に書いたら敬遠されるだろうことは予想できて、驚くほど厳重に偽装されているけど、その偽装を解けば物語シリーズの本質はこんな風になっている、って感じですけどw
なのに、敬遠されるとわかっていながらこんな記事を書くなんてアンチなのかというとそうでもなくて、僕のようにそれはそれとして興味深いと思って下さる層が一定数はいらっしゃると思うので、その方達に向けた記事となります。
何より、そんな敬遠される物語にしか訴えられないことがありますし。
例えば・・・・
阿良々木君は、上記のように、色んなことを察することができ、数学ではわざと百点を取らないなんてナメプをし(だからきっと他の教科も意図的に点数を下げていて)、能力だけ見ればかなり優秀な感じです。そして、それを更に進めたのがひたぎや翼で、怪異モドキのみなさんは総じてスペックが高く設定されています。
なら、自分の能力の低さに悩んでいる方が、怪異モドキ達の惨状を見れば、要は他人との関わり方で、能力なんてものが重要じゃないんだと、自分を好きになれるはずです。
論理的に間違っているとわかっていながら「助けて」と言えず自滅上等で暴走する阿良々木君の姿を見れば、論理的に間違っているとわかっていながら自分の性格に従いそうしたいと思うことをしてしまう、そんな自分が嫌いな方も、色々と思うところが出てくるはずです。
まあ、僕が物語シリーズを観て具体的にどう考えているのかは、僕がどんな考えを持ったどんなクズなのかを公言するに等しいので、これ以上は絶対に書きませんけどw
といったところで、
終物語 第10話「しのぶメイル 其ノ肆」
に続きますw
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