【物語シリーズ 終物語10話】物語シリーズが時系列順でない理由、真宵が暦に救われた理由【化物語/鬼物語 感想・考察】


終物語 第10話「しのぶメイル 其ノ肆」

まず、大半のアニメの主人公がそうであるように阿良々木暦君も色々な欠点がありながら総合的には良い人だと思われている方はここでお帰り下さい。







●物語シリーズが時系列順に語られない理由

という訳で早速、物語シリーズがどうして時系列順に語られないのかというと、

『主人公・阿良々木暦君のアレさを隠すためなのと同時に、蟹に思いを丸投げするというのがどんな状態なのかを視聴者に疑似体験して貰うため』です。

時系列で見れば「しのぶメイル」は、鬼物語で八九寺真宵が涙ながらに、でも、淡い夕日に滲む精一杯の笑顔で

「大好きでしたよ、阿良々木さん」

と言い遺し旅立っていった直後です。風光明媚な湖の上に浮かぶ観光地のような場所で。

なのに阿良々木君はその影を全く感じさせず、主人公らしいメンタルの強さ、切り替えの早さに寒心するばかりですw

でも、それってつまりは、鬼物語4話のラストで阿良々木君が

「そういえば僕は、四ヶ月前のあの日、八九寺の別れに際してあの言葉を言っていなかった。今頃そんなことに気付くなんて、僕も随分抜けている。

・・・・・・・・さようなら、八九寺真宵。お前と遭えて幸せだった」

なんてことを言っていたように、四ヵ月という時間で風化し、(検閲済)な阿良々木君でも真宵のことを受け止められるようになるまでずっと『忘れていた=蟹に丸投げしてた』ってことなんですよ。

化物語2話のは、あくまでどうしようもない阿良々木君への対処療法で、阿良々木君自身にそれを改める気がないと結局はご覧の有様な訳です。
(蟹の詳細は終物語9話感想をご覧下さい)

終物語7話(しのぶメイル1話)冒頭で、忍野扇に問い質されなければ

「僕としては忘れていて欲しかったところだし、それ以上に、『忘れていたかったところ』なのだが」

と言っていたように。終物語1話でも扇に問い質されるまで、老倉育のことを全く『忘れて』いたように。真宵が旅立った直後だというのに、終物語8話で「迷い牛」に行き遭っても何の思いも抱かなかったように。

勿論、阿良々木君が愚か者だからではなく、

『怪異の力に逃げ続けている卑しい化物だから』

鬼物語4話のBパートに続けて「しのぶメイル」を観て頂ければ、真宵が旅立った直後だということを忘れないで頂ければ

「どうも最近、忍や斧乃木ちゃん、八九寺と楽しく遊んでいることが多かったせいで僕へのロリコン疑惑が日に日に増している」

平気でこんなことをほざける阿良々木君が(もう)真宵のことなど何とも思っていない如何に鬼畜な化物なのかをわかって頂けると思います。

そう考えると、鬼物語4話で真宵にキスされる少し前から阿良々木君は口角を上げ笑ってるんですよね。きっと、その時点でもう真宵への思いを蟹に丸投げしていたから。後述するように、涙と共に思いを取り戻した真宵とは対照的に一滴の涙も流さなかった阿良々木君は。

なのでもう一度書きますが、物語シリーズがどうして時系列順に語られないのかというと、

『主人公・阿良々木暦君のアレさを隠すためなのと同時に、蟹に思いを丸投げするというのがどんな状態なのかを視聴者に疑似体験して貰うため』でした。

終物語1話(おうぎフォーミュラ)で、忍野扇が

「どんなに嫌な思い出も話してしまえばただの物語です」

と言っていたように、どんな体験でも自分のものとして受け止めず、蟹に丸投げしている他人事として、他人事のように語れば、自分には関係のないただの物語なのだから。

そんな訳で、こんな阿良々木君を多少擁護しようがもうどうしようもない感じなのですが、敢えて、以降は阿良々木君が結果論的に良い行いをしたと言えなくもないところを見ていきたいと思いますw

●真宵が迷っていた理由

・・・・そのためには真宵が阿良々木君なんかに救われてしまうほどちょっとアレな子だという話をしないといけない訳ですが・・・・まあ、阿良々木君なんかに比べたら本当にちょっとだけ、ね・・・・。

では、両親の離婚に振り回され、何の落ち度もないのに不幸にも交通事故に遭ったように見える真宵がどうしてアレな子だと言えるのかというと・・・・

心に闇を抱える者が『怪異』に行き遭う=当事者の心の闇が『怪異』を生み出す(引き寄せる)からです。

なので『怪異』そのものに成り下がっている時点で、真宵の心に何かしらの問題があったことは明らかです。

だからこそ、猫物語(黒)では忍野メメが

「(羽川家の不和は)委員長ちゃんのせいだよ。力を持つ人間は、その力が周囲に与える影響について自覚的であるべきだ。今回の件は何もかもがイレギュラーだ。何もかもがイレギュラーで、委員長ちゃんだけがイレギュラーだ。あれもこれも、どれもこれも、委員長ちゃんのせいだよ」

と言っていたように、終物語5話感想では戦場ヶ原家もひたぎのせいで崩壊したと言える理由を書いたように、

『物語シリーズでは、全ての不幸の原因が「怪異(モドキ)」達にある』のです。

・・・・メメを見る目のないボンクラと解釈するなら別ですが、もし、メメまでを疑うなら、もう作中のキャラを誰一人信用できなくなってしまうでしょう。

なので、『怪異』そのものにまで成り下がってしまった真宵が八九寺家崩壊の原因であることは疑いようがありません。

そして、『怪異モドキ』達は総じてスペックが高いので、真宵も小学生離れした洞察力、判断力を持っており、そんな自分の状況を自覚していたはずです。

だから本当に「お父さんもお母さんも大好きだった」真宵は行き場をなくし(人生の)道に迷ってしまいました。

真宵が母親に会っても、両親を苦しめ続けている自分が満たされるだけで、大好きな父母の仲は更に険悪なものになるでしょう。なら大好きな両親が幸せになるには・・・・元凶である真宵がいなくなるしかありません・・・・それこそが、真宵がカタツムリに行き遭った本当の理由だったのです。

だから真宵は、化物語5話で、母親の家がなくなっているのを見て、真宵がいなくなって両親が再婚できたであろうことを確認し、泣きながら地縛より解放されていきました。真宵が帰っても両親を苦しめることのない、何もない売り地だったから、真宵は「ただいま帰りました」と帰ることができたのです。

しかし一方で、真宵は単にメメの裏技でそこに連れて来られただけで、心の問題を乗り越えた訳ではありません。だから、真宵の中には依然として

『真宵は両親を不幸にするだけの要らない子なのだという心の闇が残り続けていました』

ただ、根本的な解決には至らなくても、少しだけ真宵の何かが改善され地縛から解き放たれたのも事実です。

なので、それら全ての辻褄を合わせるにはこう考えるしかないのではないでしょうか。

●独りよがりな阿良々木さん

よって、傾物語や鬼物語で、真宵が

「(生き返りたいと思ったことは)ありませんねぇ。もうそろそろ死んでからの方が長くなりそうですし」
「幽霊になったことは不幸せです。でも阿良々木さんに出会えたことは幸せですね。だからまあ、総合的には私は幸せですよ」

「別に私は生き返りたくなんかないですよ。無駄なことしましたね、独りよがりな阿良々木さん」

こう言っているのは本当にそう思っているからです。真宵が生き返ってしまうと、また大好きな両親を苦しめて家庭を崩壊させてしまうから・・・・。

なのに、どこかの阿呆が時間旅行をし、別ルートでそんな真宵を、心の問題を解決しないまま、表面上の命だけを助けてしまいます。

だから真宵は、ずっと両親を苦しめているという罪悪感に苛まれながら「キョンシー」と呼ぶに相応しい生きる屍のような存在になってしまいました。それが「まよいキョンシー」という副題の本当の意味だったのです。

●どっちが幸せ?

しかし、そんな『要らない子』の真宵を、こちらのルートの阿良々木君だけは必要だと言ってくれました。だから真宵は、初めて、自分でも誰かを笑顔にできるのだと実感することができたのです。

生きている間は何一つ自分を肯定することができなかったけれど、死んで、阿良々木君に会ったことで、初めて自分も『必要とされている』のだと、自分を肯定することができました。

だから鬼物語4話で、真宵は、涙を零しながら、思いを溢れさせながら、それでも自分から旅立つことができたのです。例え阿良々木君がそんな真宵への思いを蟹に丸投げしてしまうクズ野郎だったとしても・・・・。

まあ、普通に考えると死ぬよりは生きている方が未来への可能性が残っているとなる訳ですが、物語シリーズは死後の世界がある設定なので、どっちのルートの方が幸せなのか非常に悩ましい感じです。

・・・・キョンシーにならないよう、心の問題も解決しつつ怪異化を防ぐってのがベストではあるのでしょうけどw

真宵も阿良々木君も『ニンゲン』と一緒には生きられません。いるだけで『ニンゲン』を不幸にしてしまうので。でも、阿良々木君がそんな化物だったから真宵の救いになれました。そんな化物だからこそ救える相手もいるのです。

なら、視聴者が各々に嫌だと思っている視聴者自身にしか救えない誰かもいるはずです。物語シリーズは、そんな風に視聴者が嫌いな自分を好きになれる・・・・かもしれない物語だと思います。

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・

例えば!・・・・例えば、聖人君子の人格者から見れば、僕なんて阿良々木君と大差なく見えてしまうのでしょう・・・・非常に納得できない感じではありますけどw

なら、僕なんかでも一応生活できているのは、その至らなさを許してくれる聖人君子の方々がいるからです。

なので、阿良々木君なんざさっさと「くらやみ」に飲まれてしまえ、なんて言っていると、聖人君子の方達から僕のようなクズは消えてしまえと言われた時に反論の余地がありませんw

よって、聖人君子を見て卑屈になるのではなく、阿良々木君を見て蔑むのでもなく、適材適所があるのだと互いを尊重していくべきなのかな・・・・なんて重〜いことを考えられるのが物語シリーズの・・・・良、い? ところ、なのだと思います・・・・よ?w

例えば、の話で僕は全然そんなことを考えてませんけど!w

といったところで、

終物語 第11話「しのぶメイル 其ノ伍」

に続きますw


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2015年12月04日 18:47 by 元会長
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