さて、今回は主人公・久米野 朋恵が高校生の時にクラスメイトの小泉と喧嘩別れをし、数年越しに仲直りするまでの物語でした。
ただ、(尺が短いので仕方ないのですが)1話でも冒頭にいきなり過去の回想が入っていたり、2話も意図的にわかり辛い構成にされているので中々に説明が大変なんですよね・・・・w
●久米野の変化
という訳で、久米野が社会人になり、マンションのベランダでタバコを吸っているシーンから。
高校では髪を結い、いかにも優等生の委員長といった感じでしたが、結うのをやめラフに伸ばした髪形に変わっています。久米野が無理に外面を繕うのをやめ素の自分を表に出していることが演出されていました。
●ずっと・・・・
そして久米野は
「あの時、呼び止めてくれた彼女に、私は何と答えれば、私は彼女と決別することができたのでしょうか?」
こんな独白をするので、ずっと小泉と決別できないまま、喧嘩別れしたことを引きずっていることがわかります。
(これが後述する小泉にアカウントを知らせていたことに繋がっていきます)
●時系列が折り重なって
問題はその後の、
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久米野 朋恵
このアカウントは存在しません
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というスマホの画面を見詰める小泉。
その久米野 朋恵のアカウントに重なり「送信を完了しました」と表示する画面。
久米野のマンションの部屋で着信の音が鳴るシーン。
スマホ画面を見詰めるのをやめ、天を仰ぐように「あーー」と声を上げる小泉。
という一連のシーンをどう解釈するか、です。
まず一つ目は、高校で喧嘩した後、小泉に自分のアカウントを知らせていれば、小泉が「ごめん」と返信してくれたかもしれないという、久米野の希望的な妄想だという解釈です。
でも、最後の小泉の台詞が「ごめん、あの時は」なので何か違和感がありますし、久米野の部屋の着信も小泉からのものではなくなって、ちょっともの悲しい結末になってしまいます。
なので、久米野は小泉と喧嘩した後、「久米野 朋恵」でアカウントを確認してみると存在せず、新たに自分の名前で作ったそのアカウントを小泉に知らせていました。
でも、久米野はアカウントを知らせただけで、小泉も謝るか散々迷った挙句、結局「あーー」と天を仰いでメッセージを送ることができませんでした。
「でも、貴方(小泉)だって素直になるべきだったでしょう!」
久米野がこう毒吐いていることから、小泉も今までずっと素直になれず何も送れなかったと考えた方が自然なので。
(よって、アカウントが存在していません、という画面を、久米野が小泉に教えていたアカウントを一度削除した時のものとすると、その後の送信画面は今日の小泉の手元なのに、その後の天を仰ぐ小泉は高校生の頃となり、時系列がいよいよ滅茶苦茶になってしまいます。なので僕はこう解釈しました)
しかし、小泉は数年経った今日やっと
「ごめん、あの時は」
と返信することができて、部屋の着信音を聞いた久米野も、それが本当に小泉からのものであるかわからなかったけど、小泉からだと信じたい、仲直りしたいという思いが溢れ出して、やっと「ごめん」と謝ることができた・・・・のだと思います。
そんな感じに現在の久米野と、過去の小泉の画が折り重なっているので、中々にわかり辛いんですよねw
特に小泉が「あーー」と言ってから、「ごめん、あの時は」と言う間に数年の時間が凝縮されていて、高校の時に小泉が送ってくれたメッセージが今頃届いたような感じなっていますし。
まあ、超常の不思議系と解釈すれば、そんな物語だと解釈することも可能ではありますけどw
●本当に友達になれる相手は
だから、この物語は久米野が言った台詞に付け加え、
「いつだって、本当に友達になれる相手は、あとから気付くものなのかもしれません。(でも、そんな相手となら何年後だろうと、気付いた後に友達になることができるのです)」
という物語だったのではないでしょうかw
●紙芝居演出
あと、1話感想でも書きましたが、本当は友達になりたいのに、意地を張ってぎこちなくなっていた二人を、中割りの少ない紙芝居演出がいい感じに演出していましたw
といったところで、
旅街レイトショー 3夜「夏祭り」
に続きますw
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