さて、大半のアニメの主人公がそうであるように阿良々木暦君も、色々な欠点を抱えながら総合的には良い人だと思われている方はここでお帰り下さい。
という訳で、今回は神原駿河の家の風呂にまつわる不思議、稀にその水面に将来結ばれる相手が映ることがあるという話でした。
●キスショットが幼女の姿になった理由
では、そのエピソードにどんな意味があったのか? それは、ひたぎの
「運命の相手と思える相手と出会ったら、それがかつて水面で見た己の像と似ていた、って話だもの」
この台詞より、
『阿良々木君がキスショットに往き遭った時、その顔が、幼い頃に水面の揺らぎに見た自分の顔に重なっていた』
ことを示していたのだと思います。
「ひたぎクラブ」や「つばさファミリー」では忍野メメが、忍が阿良々木君の影響を受け変化している、みたいなことを言っていました。
よって、キスショットの外見が幼女のようになったのは、
『阿良々木君が(自覚しているにしろ、いないにしろ)幼い頃水面の揺らぎに見た自分の姿をキスショットに重ねていたから』
です。
「(水面は揺らぐから)そのブレて映った自分が女の子に見えることもあるんじゃないの」
と言うひたぎに、阿良々木君がすぐ
「まあ、確かに、男女差の少ない、幼い子供だったらそういうこともあり得るかもしれないけれど(後略)」
と返せたのも、子供の時に実際そんな体験をしていたからです。
勿論、物理的な造形だけはなく、専門家に退治されかけていた化物の姿が、化物として殺されるくらい他人に迷惑しかけられない害悪が、阿良々木君自身=精神の器の壊れた化物にしか見えなかったという側面も大きいと思いますが。
だから、おそらく、阿良々木君がキスショットに往き遭った時、(阿良々木君が自覚してなかったとしても)その姿がまるで自分のようで、キスショットを助けずにはいられなかった・・・・のだと思います。
●阿良々木君が結ばれる相手
よって、
『水面に映る阿良々木君の姿≒忍の姿』
ということになり、ひたぎの
「恋愛というのはとかく自分に似た相手を求めがちだから」
という台詞からも、阿良々木君が忍を運命の相手だと思っていることがわかります。
まあ、恋物語では、貝木に頼らざるを得ないほどひたぎを追い詰めながら平然としていたり、「しのぶメイル」では躊躇いなくひたぎや翼より忍を選んでいるので、今更な話ではありますけど。
自分から土下座して自らの非を認め、涙を流すことがひたぎと、薄汚い化物である阿良々木君が似ている訳がないんですよね。害悪として滅ぼされかけていた、怪異そのものである忍の方がお似合いです。
●自分の姿が違って見えるということ
あとは、水面に映った自分の顔が女の子のように見えたとしましょう。その時最大のインパクト、衝撃は本来見えるはずのないものが見えた意外性、不思議です。だから、わざわざどんな顔に見えたか? なんて瑣末なことを覚えているでしょうか?
なんてことを考えていくと、駿河父や阿良々木君がそこに見い出した最大の価値は、自分(の写像)が別の何かに変われたことだと思われます。つまり、
『今の自分ではない、別の何かになりたいという強い願望を抱いていた裏返し』
・・・・なのではないでしょうか。
『(化物の)自分を否定しているから自分の実像は見たくない(現実の自分は直視できない)けど、そんな化物でも何かの拍子に救いの手が差し伸べられるかもしれない、普通の人間になれるかもしれない。水面に揺らぐ自分の写像にそんな甘い願望を託していたのです』
・・・・まあ、駿河父も阿良々木君も超ナルシストだった、とか、また怪異の力でやらかしている、とか、色んな可能性がありますが、そうだとすると、こんなエピソードを語った意味を説明できなくなるので、僕はこう解釈しています。
といったところで、
暦物語 第5話「こよみウインド」
に続きます。
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