さて、これまでの記事で『魔』とは何なのか?
どうして人間は襲われてしまうのか?
その理由、物語に込められた意味をお話ししてきました。
例えば、5話に登場したあの夫婦。互いに相手の上っ面しか見ておらず、性格などの内面を見ていませんでした。だから、それに見合う表皮だけの剥製にされてしまったのです。
つまり、今回の由美を含め、心に問題を抱えた者が相応の末路を迎えただけの話で・・・・それさえわかれば、もう怖くはない、はずです。
人間は、ただ、未知のものを恐れます。
だから、魔に存在理由、行動原理を与え、既知のものにしました。正しい心さえ持っていれば、もう恐れることは何もないと、物語に封じ込めたのです。
アバンやEDに出るスケッチの子もそうです。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
の言葉があるように、魔に形を与え、既知のものとすることでその力を削いでいる、優秀な人間の、子供。
でも・・・・本当に? 本当にあの子供は味方なのでしょうか? もし魔に見せたいものだけを見せられているのだとしたら・・・・。
今回、暗闇の中で震えるだけだった、一度として魔(お雛様)を照らすことができなかった懐中電灯のように、大事なものは何も見えていないのだとしたら・・・・。
魔の正体を知った、そう勘違いした人間こそが最も・・・・。
とイったところで、
闇芝居(三期) 第9話「」
に続・・・・・。
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