さて、冒頭で晴彦が
「人は何故時代劇や歴史劇が好きなのか?
(中略)
それは自分達の集合的無意識を豊かにするための、人間の本能なのかもしれません」
こんな薀蓄を語ります。
『集合的無意識』とは人間が無意識に持っている共通認識です。古代エジプトやインカ文明、その他多くの文明で王の所持品に「金」が使用されたのも、金色の輝きを見ると人が「無意識」に富や権力を感じるからです。
当ブログで解説している「色、水、顔や姿を隠す」演出なども『集合的無意識』を利用したものだと言えるでしょう・・・・多分w
それは人に限らず、例えば動物の赤ちゃん、子供が可愛い姿をしていることにも当てはまります。庇護欲をそそり親がちゃんと育てられるよう、他種族でも可愛いと認識できるほど、種族を超えた『集合的無意識』が活用されているのです。
よって、ロリコンが正常であり正義、久瑠美ちゃんマジ大天使! であることも明らかでしょう・・・・対象に危害を加えない範囲で、ねw
●晴彦は・・・・
ただ、上記の晴彦の台詞が暗に、
『この作品も、ファントムが実在し、ファントムと共存できることを『集合的無意識』に訴えるためのもの』
と言っているようで、更にルルが続けて
「ぬへへへ、越後屋、(そうやってファントムのイメージアップを図るとは)お主も悪よのぉ」
と言っているようで、非常に気になります。
ルルが
「はは〜、流石ご老公様、恐れ入りましてございます」
なんてことを言わず、ルルと晴彦を悪役に見立てた台詞を言っていることからも、こう言うルルを晴彦が叩い(てそれ以上余計なことを言わせないようにし)たことからも、何かネガティブな意図を感じずにはいられません。
7話感想で書いたように、7話で晴彦が死んだ猫の暗示を受けてなければスルーできたかもしれませんが・・・・。
●劇中劇?
1〜3話感想でも書きましたが、この作品は今回のようにずっと劇中劇をしているような、作中の現実世界とは違うメタ世界の話であるような演出が随所に散りばめられています。それは今回も続いていて・・・・。
OP明けて、演劇部の二年、北島亜弓が舞達に演劇コンクールの助っ人を頼んできます。新入部員が入らず、亜弓一人だけなので人手が全く足りないようです。
その台本を見た晴彦と亜弓が交わした
「(前略)事実関係とか、時代考証とか無茶苦茶ですね」
「良いの! わかり易さと楽しさを優先! いつもいつも優等生的なことやってたら、進歩も発展もないわ! 時には大胆に行かなきゃ」
なんて会話にも、そんな意図を感じてしまいます。
今回の劇中劇がこの作品の構造をわかり易く示している、
『晴彦達が作中の現実世界ではなく劇中劇のようなメタ世界に生きている』
ことを暗に示している気がしてなりません・・・・。
●みんなファントム?
その後色々あって、演劇コンクールで晴彦達の劇が始まって、亜弓の正体がファントムだったことがわかります。みんなの記憶を操作して人間のフリをしていたと。
そんなのがアリだともう作中の誰も信じられなくなる訳で・・・・
「(前略)許しては貰えないわよね。いいわ、封印でも何でもして頂戴」
と言う亜弓の手を取り、晴彦達が口々に
「舞台を続けましょう先輩」
「ファントムでも人間でも私達は友達よ」
「今日まで一緒に頑張ってきた仲間じゃないですか」
「私も最後までお芝居したいです」
と言うシーンで、小糸以外がみんなスポットライトの光の中にいます。
だから、場合によっては小糸以外全員ファントムだって可能性もある訳です。
1話で晴彦の家の目覚まし時計やダンボールにモザイクが入る演出が入っていたのも、あの家自体がファントムだった伏線・・・・とか?
舞も自室が一度として映されませんし、4話感想で書いたように、玲奈も両親の姿は勿論、家の門以外、家の中の様子が一切映されていませんし、久瑠美についても同様ですし・・・・。
ただ、もう一つ気になることがあって、晴彦達の配役がみんな明治維新で死亡する運命にある者達ばかりなんですよね。
そんな中、舞だけが町娘となっていて、そう考えるなら舞が希望を繋ぐ何かなのかな〜? って気もしてくるのですが・・・・。
と、今回の話も、亜弓が言っていた「わかり易く」が全然わかり易くなってない(相変わらずいけずな作りですよねw)、とボヤいたところでw、
無彩限のファントム・ワールド #10「小さいルルの大きい夢」
に続きますw
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