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さて、今回、新たな魔女・犬養が登場しました。
犬養は、茜の魔術薬のせいで犬の獣人になってしまったと言いますが、真相は違うと思います。何故なら、そう思える演出や状況証拠が溢れているからです。
また、犬養は茜のことを「古い友人」と言っていて、何だったら幼馴染な勢いです、多分w
なので、じゃあいっそ二人を百合カップルと解釈しても大差ないよね、という話をしていきたいと思いますw
●犬養の占い家業は・・・・
まず、犬養が一年前、茜と飲んだ時の回想シーンで、いきなり二人ともでき上がっています。
「まぁ、路上(占い師)なんだけどね。ボチボチやってますよぉ。んで、結構当たるって評判良くてさ、(後略)」
しかも、こう言う時、犬養はずっと顔や目が見切れて映されません。っていうか、飲み会の間ずっと、犬養の目が映されることはなかったし、顔も見切れることが多かったです。
これは犬養が嘘を吐いてたり何かを隠している(と視聴者に思わせる)演出です。
人間は相手の姿が見えないと本能的に不信感を抱きます。目は口ほどにものを言う、との言葉があるように隠すのが「目≒口≒心」なら尚更です。
だから、犬養の占い師は全然上手くいってませんでした。犬養が最初からでき上がっていたのもそのためです。
●魔術薬は・・・・
また、茜が犬養に魔術薬の説明をする時も、
「チョコ?」
「と思うでしょう? でもちゃーんとした魔じゅ」
ここまでは茜の顔が映されます。
「つ薬。知り合いに頼まれてねぇ、試作品だけど作ってみたの」
「へぇ、どんな効果なの?」
「人が動物になっちゃう奴」
しかし、こう続ける時は犬養が映され、茜が一切映されません。
「らしいよねぇ。何かやってたらできたんよねぇ」
「あっはは。やっぱあんた天才だわ。その年でここまでできる魔女なんてそうそういないよ」
「えへへへ。そんなことないよぉ」
逆に、二人がこんな(比較的)どうでもいい話を続けた時だけ、喋る各々の姿が映されます。同じアングルで飽きさせないための変化をつける(だけ)なら、せめてここを姿を見せないカットにするべきでしょう、話の内容的に。
だから犬養は本当に茜を天才だと思っているし、茜もそれを鼻にかけたりしていません。でも、魔術薬は知り合いに頼まれたから作った訳でも、人を動物にする訳でもなくて・・・・。
(ここがまるっきり嘘でなくても、知り合い=犬養、で頼まれた訳じゃなく、犬養のために作ったとか、とにかく何かしらの裏があるのは確かです)
「犬養さぁ、試しに食べてみてよ」
「ムリムリムリ。何言ってんのよ、あんたぁ」
そして二人がこう言う時も、犬養の眩しい太ももがアップになり、二人の顔が映されることはありませんでしたw
●犬養と茜
その後色々あって、倉本家から帰る時、犬養と茜が
「大変ご迷惑をおかけしました!」
「私も元に戻す方法探してたからさ、見つけたら連絡する」
「うん、ありがとう」
こんな会話をする訳ですが・・・・。
飲み会の代金を一回踏み倒したとか倒されたとか、些細な問題ならこれでいいですけど、犬養は一年もの間、昼間ずっと犬の姿になってしまう、なんて被害を被っています。むしろ、薬の効果が切れるか解毒薬が見つかるまで、まだまだそれが続くのです。
しかも茜はそんな犬養に一度として連絡を入れず一年も放置していました。いくら酔った犬養が自発的に魔術薬を食べたとしても、ちょっと酷すぎないでしょうか。
そして犬養の腰が低すぎないでしょうか。上記の回想内で、犬養が茜を心から天才と言っていたことも、単に犬養がお人好しすぎるから、こんなアレな茜をそう思っていただけでは? なんて思ってしまいます。
・・・・まあ、だから僕はそんな表の流れを信じてない訳ですが。
●ネガティブなシチュエーション
何より、今回のラストで、犬養が夜に、箒に乗って一人、暗い空を飛んで行くシチュエーションがネガティブすぎます。
この直前のシーンは昼だったので、犬養が茜や琥珀に燃える夕空に飛んでいくこともできたんですよね。なのに、わざわざ真っ暗な夜が選ばれている訳です。
「い、犬養さん、顔が」
「ああ、そっか、もう夜だもんね。こっちが本当の姿だから覚えておいてね」
しかも、倉本家の玄関先で、真琴と犬養がこう話した時、犬養の口元しか映されず嘘の演出がかかっていました。
もし、その後、犬養が
「そうね、アル。今度ちゃんとお詫びしに行こうね」
と言う時、その顔が隠されていたら、犬養の人間の顔を意地でも映さず、圭が「たんげータイプだった」と言うくらい犬養が可愛いことを強調する演出、の可能性が出てきて大変でしたけどw
でも、最後に犬養の顔を(特に強調するでもなく引いた視点で)見せるのでは、わざわざずっと隠していた意味がありません。
(回想では一番重要な目が隠されているので、顔が映されたとはカウントしません)
何より、夜、人のいない暗い空を一人(+一匹)で帰るなんて寂しすぎます。眼下の桜祭りの賑わいに誤魔化されそうですが、これからも犬養はずっと昼間犬の姿で、その世界は夜のように真っ暗です。
一方、真琴達は犬養を見送るためにそんな夜の玄関先に出ただけで、本来はその背景に描かれていた明るい家で暮らしています。
なので、その差は歴然で、とても表の流れのように犬養が悪かったと素直に頭を下げられるような状況とは思えません。
真っ暗な夜の原因が、本当に茜の魔術薬のせいなら、ですが・・・・。
勿論、真琴達との出会いが、箒にぶら下げたランタンや眼下の賑やかな桜祭りの明かりとなって、犬養の心を少し慰めてくれていることも演出されていますけど。
●サブタイトルの意味
もし、ラストのシーンにポジティブな意味合いがあったのなら、犬養が倉本家を出た後、歩いて桜祭りの会場に入り、人ごみの中で占い屋を始め、やって来た客に「いらっしゃいませ」とか言って終わると思うんですよね。
それでこそ、サブタイトルが「桜の中の占い師」となっていることに納得できるというものです。
しかし、真琴達が初めて会った時、犬養は桜祭りの会場で一人孤立していました。
「もうどうでもいいのよ。占いなんてはなからしてないわよ」
しかも、そこで犬養はこう言って、自ら(物語的に)占い師ではないと言い放っています。
「どうしても居場所が掴めなくて。もしかしたらまた来るかもしれないと思って、ここで路上占いをしてたの」
犬養がこう話す時も、この一年の犬養の占い屋の様子が映されますが、周囲に客の姿が全くありません。
これではサブタイトルが「桜の中の占い師」だなんて到底納得できません。
だから、サブタイトルの正確な意味は
『桜の中の≒桜の花の中の≒蕾(つぼみ)の中の≒見習いの占い師』
なのだと思います。
すると、回想内で犬養が言っていた「結構当たるって評判良くてさ」が嘘ってことに繋がって、そこから数珠繋ぎに・・・・。
●つまり・・・・
だから、犬養の占い家業が上手くいってなかったのは確かだと思います。
犬養は犬の姿になる前からコミュ障でロクに話すことができず、全身を隠すあの姿もそのせいなのか、魔女がいる世界なので狼男ならぬ犬女(の魔女)で、人間の世界に馴染めていないのか、その詳細はわかりませんが。
だから、昔から犬養を知る茜は、そんな犬養のために魔術薬を持って来ました。その効果が何だったのかはわかりませんが、とにかくそれで犬養は救われているのです。それが夜空を飛ぶ箒にかけた小さなランタンの明かりだったとしても・・・・。
つまり、茜と犬養が百合カップルなら全てが丸く収まるので、これからも二人で百合百合すればいいじゃない! ということですw
(OP的には千夏と百合百合するのかもしれませんけどw)
といったところで、
ふらいんぐうぃっち 5話「」
に続きますw
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