【アニメ公式サイト様/ニコニコチャンネル様】
さて、冒頭のBGMを花火に例えると、一期の物はゆっくりと二発の花火が打ち上げられるだけでした。一期は、神秘のベールに包まれた奇獣とのオカルトめいた都市伝説、というテーマをじっくり描いていたので、そんな作品内容が演出されていました。
一方、二期のBGMは九発の花火が一気に打ち上がる感じです。奇獣もオカルト的存在から(猿楽に作られた)生物兵器的なものが増え、本間やナギの登場により、猿楽内部の対立や、奇獣と戦う第三勢力が物語に加わっています。
なので、冒頭のBGMがそんな複雑化した内容を端的に演出していました。
●ナギ父の意識
あと、ナギ父を取り込んだ影鰐が人々を襲う時、そのシーンを映すカメラのレンズに被害者の血飛沫がつくような演出が入ります。これは、影だけの存在となり、二次元の世界から三次元の様子を見ている、ナギ父の心情を表す演出です。
だから、ナギ父の意識は影鰐に取り込まれたあとも僅かに残っていました。でも、影鰐がナギ母を殺した時、上記の演出がなくなっています。ナギ父の意識が影鰐に飲み込まれてしまったことが演出されていました。
●音叉の意味
あとはナギが託された音叉ですが、一般的にはU字になっている二か所が共振するイメージだと思います。
なので今回、番場がナギ父の夢を見たのも、音叉によって番場とナギ父の意識が共振したからです。よって、ナギ母が影鰐の中にナギ父を感じ取ったように、一期で奇獣と微かなコミュニケーションの可能性が示されたように、音叉の本当の力は『奇獣と人間の心を共振させること』・・・・だったら中々ロマンチックかなと思ってみたりw
●番場とナギ
また、幼い頃、目の前で影鰐に両親を殺された番場とナギ。番場は父親に蔵へ閉じ込められ、ナギは母親から「何があっても(家に)隠れているのよ」と言われました。
しかし二人は「蔵、家=倫理観の檻」を出てしまっていて・・・・なんて共通の暗示がある・・・・のかも?
●番場と木村
最後に、番場が目覚めると木村が側にいましたが、二人は背中合わせに反対方向を見ています。なので、やっぱり二人の進む道は真逆なのかな〜と思ったり思わなかったり。
といったところで、
影鰐-KAGEWANI-承 9話「」
に続きますw
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